GWも近づき 緑がまぶしい季節になりました。
1年の中で 爽やかな一番良い季節ですが 去年に引き続き コロナ自粛の中で迎える2回目のGWですね。
今年のGWも 外出は 近所を散歩するだけの毎日で終わりそうです。
そんな中でも 自然を愛で 楽しみを探しています。
先週の観音様巡りの途中でも たくさんの癒やしの風景に出会いました。
二宮に行った日は 強風が吹き荒れる日。
梅沢海岸を見下ろす場所では 晴天だったので 伊豆半島や大島まではっきり見えましたが
立っているだけで 体を持って行かれそうな風が吹き 渦巻く波間。
翌日は 穏やかな晴天で 吉沢の丘の上からは 畑越しに新緑の大山がくっきり。
秦野方面に向かう途中 丘の緑がまぶしかった事
思わず車を停め 写真を撮りました。
周囲の畑では 夏野菜を植える準備が始まっています。
畑の向こうには 小さな牛舎があり 牛たちが 只今 お昼ご飯中。
正面に回って近づくと じろっと睨みつけられました
今年は なかなか鯉のぼりが上がっている光景が少ないな~~。
住宅街で 屋根より高い鯉のぼりの姿を見るのは 湘南辺りではずいぶん少なくなりました。
今年 初めて見かけた鯉のぼり。
やっぱり元気に泳ぐ姿は パワーをもらえますね。
端午の節句の風習は 平安時代辺りから始まったようですが 武家の間では 端午の節句に幟を飾る習慣がありました。
江戸時代中期になると 商家でも幟を飾る様になり その後 ある町民が 《黄河の竜門と呼ばれる滝を登る魚の中で 鯉だけが登り切り 竜になった》という中国の故事から 鯉の滝登りは立身出世の象徴として 鯉をかたどった物を飾ったところ それが広がり 大型化した鯉のぼりが飾られるるようになったそうです。
当初の鯉のぼりは 黒い真鯉1匹だけで 広重の名所江戸百景にもその光景が描かれています。
画像は ネットからお借りしました。
明治後半から 大正時代にかけては 黒い真鯉と 赤い緋鯉の2匹が掲げられ 真鯉は父親 緋鯉は子供を表しました。
それは 今でも歌いつがれてている 昭和6年に発表された 童謡 《こいのぼり》からもわかります。
意外にも 青い鯉のぼりが加わり 真鯉を父親 緋鯉を母親 青い鯉を子供と表したのは 家族観が変化してきた 昭和30年代になってからなのだとか・・・。
その後は 兄弟達を表すカラフルな色の鯉のぼりも加わり 最近は 女の子の分も含めて 家族全員分の鯉を上げる家もあるそうです。
この間見たお宅の鯉のぼりも 6匹のカラフルな色の鯉が掲げられています。
去年見たお宅の鯉のぼりは 総勢5匹
さてさて 子供がたくましく育つ事を願うのは 自然界の生き物は全て同じ。
2月から巣作りを初め 何度も嵐に見舞われて 巣が壊れながらも 子育て準備ていたアオサギ夫婦の今年最後のご報告です。
19日
アオサギ母さんは 巣の中で ひとりで立ちんぼ状態。
嘴や脚は まだ婚姻色が鮮やかなので 産卵の可能性はゼロではなさそうです。
対岸で じっと見つめる父さんアオサギは 少し婚姻色は 冷めてきているかしら・・・・
21日
対岸で 背中を向ける父さんアオサギ
じっと何かを考えているような 母さんアオサギは
羽繕いを始めて
父さんアオサギに 必死のアピールを始めました。
21日
願いもむなしく やはり産卵はできなかった様で 対岸の父さんアオサギをじっと見つめる 母さんアオサギ
23日
巣には 母さんアオサギも姿も 卵もありません
対岸を見ると 父さんアオサギと 婚姻色も冷め始めた母さんアオサギ(右)の姿がありました。
そして翌24日には アオサギ夫婦の姿は 池から消えていました。
2月の終わり 10羽近くのアオサギが集まり お見合いパーティーをの結果 めでたく1組のカップルが成立したにも関わらず 毎週襲ってきた春の嵐に翻弄され とうとう 産卵さえままならない今年の恋の季節は終了したようです。
とっても残念
来年こそは 元気なヒナが育ちますように。
アオサギ夫婦の子育て見守りは 終わってしまいましたが 竹林に響くウグイスの声や 最近 我が家の周りに 急に増え始めたイソヒヨドリが歌う歌からも 癒やしをもらう毎日です。