お宮参りと七五三 | 風遊花(ふうか)~古布とうさぎとお雛様~

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~作品展 ものつくりをする仲間達 ギャラリー ショップ~
  大好きなもの 日頃の様子を気ままにご紹介します。

昨日 漸く 母が特養ホームに入所できました。

入所前からとても丁寧な対応と 細やかな介護計画を作っていただきました。 

事前に母の色々な面を知っていただいたおかげで ベテランの看護師さんは つて看護師だった母のプライドを尊重して お互いの若かりし日の看護の仕事について話を盛り上げてくださり ケアマネさんと栄養士さんは 食が細い母のため 昼食の様子を見た後に 少しでも食べられるようにとさらに細かい工夫をして下さったり 理学療法士さんの指導の元 自宅に居た時に使っていた歩行器での歩行や 日中は トイレを使う事を目標にリハビリゆっくりしていただける事になりました。

 

このホームは実家からも近く 部屋の窓からは 見慣れていた山が見え 廊下に出れば 海も見えるという環境もバッチリ。

新しい場所に慣れにくく 鬱傾向で 日毎にわからないことも増えていっている母ですが 今まで 母や叔父の事で いくつもの老人ホームとかかわってきましたが 今までで一番 細やかな対応をしてくださるスタッフさんに 本当にありがたく思っています。

またスタッフさん以外にも 毎週 近くの保育園の子供が遊びに来てくれたり 高校生が吹奏楽の演奏をしてくれたりと 楽しいイベントもたくさんあるので 少しずつでも 母が明るく前向きになってくれればよいのだけれど・・・。

 

 

さてさて 本題。

GW中 実家の古い桐ダンスの中を片付けた時 とても懐かしいものが出てきました。

 

弟のお宮参りの時の着物です。

今から56年前の物ですが とてもきれいなまま 保存されていました。

この着物 弟のアルバムで見たことががあります。

もちろん 白黒写真でしたが・・・にひひ

 

 

 

亀甲文様に 菊が描かれた綿入り着物。

 

 

 

紐つけ飾り

 

 

 

そして もう1枚出てきたのは 私の3才の七五三の時の着物。

こんな物がとってあったとは知らなかったので びっくり~~えっ!!

 

 

 

襦袢は ネルの動物柄

 

 

 

襦袢の刺しゅう入りの襟は少し汚れが残っていました。

 

 

 

着物はカラフルな交織の物

 

 

 

毬や傘の模様が描かれています。

 

 

 

 

被布は赤い綸子の綿入れ。

 

 

 

私は 10月生まれ。

数えの年で七五三参りをしたので この着物を着たのは2才1か月でした。

とても小さく生まれて 食も細かったので なお一層着物が大きかったと聞いていましたが おはしょりが20cmもしてあり 納得でした。

 

 

 

私と弟は 2歳違いで 誕生日が1日しか違わないので 私の七五三の時 母は 産後1カ月。

3歳になってから 七五三をすることも考えたそうですが 当時は数え年で行うことが多かったそうで この時期に七五三をすることが急に決まり 慌てて祖母に着物を縫ってもらったとも聞いています。

 

当時はまだカラー写真などなく アルバムに残っている写真は 白黒だったので こんなにカラフルな色の着物だとは知りませんでした。

何枚か残っていた写真と比べてみたら 確かに柄がこの着物と同じでした。

決して裕福な家ではなかったので 上等な絹の着物ではありませんが 両親ができる精一杯の物だったのだと思います。

 

 

自宅の庭のキンカンの木の前で撮った写真です。

着物を着た時のことは 全く記憶にないのですが 歩き始めるのも遅かった2歳になったばかりでの七五三。

着物を嫌がり 泣き続けていたというので かなり不機嫌な顔での記念撮影になりました。

 

 

 

大磯の高麗神社にお参りに行った時の写真です。

後ろで覗き込んでいるのは 2歳年上の隣家の幼馴染 ひろしちゃん。

 

 

 

結局 お参りの間もぐずり続け 帰宅するなり せっかくの着物を脱いでしまい 親戚へのあいさつ回りは 洋服に着替えて行ったと聞いています。

この写真は 着替えた後で撮った写真ですが 着物を着たことや 泣きながらお参りに行ったことは何も記憶にないのですが 白いカーディガンを着て 帽子をかぶり すっきりとした気持ちでブランコに乗った写真を撮った時の記憶は おぼろげに残っています。

 

 

 

7歳の七五三は 別の時にも使えるようにと洋服で済ませたのですが できるなら 記憶に残らない幼い時より 7つのお祝いで着物を着たかったな~~。

 

思い起こせば 成人式は 父が亡くなって半年後。

母は 着物を着せたかったようですが 当時 ぶっ飛び娘をしていた私は ちょうどブームの真っただ中だったスキーに夢中になり始めた頃。

振袖代わりに スキーを一式揃えてほしいと懇願し 成人式にも出席せず ユーミンの歌をBGMに スキー場で遊びほうけていました。

 

結婚式の白無垢も子供の頃から憧れて 三浦友和さんと山口百恵ちゃんの映画 絶唱を見てから 尚 白無垢へのあこがれは大きくなるばかりでしたが 諸事情により 白無垢も打掛も叶いませんでしたべーっだ!

 

親不孝娘は 人生の節目に着る着物には縁が無く過ごしてきたことを 今 改めて感じています。

反省の意味も込め 今年の誕生日は 赤いちゃんちゃんこでも着ようかな~~にひひ!!