夏季休暇の旅行は奇数年の時には北海道への旅行に出掛けている事が多いのですが、今年、2024年は偶数年ではありますが航空券を購入する資金があったと言う事で昨年、2023年に引き続いてですが北海道への旅行に出掛ける事になりました。 偶数年の夏の時期での北海道への旅行はかなり久し振りの物になっています。
往路と復路の航空券の料金の面で丁度良かったのが2024年8月9日から8月13日まででしたので日程の面では4泊5日の旅程の内容になりましたが、定期観光バスのツアーとしては絶景積丹コースを選んで島武意海岸や神威岬と言った観光スポットを巡る内容にして公共交通機関で巡る事が難しい場所にも出掛ける形の物になりましたが、2021年頃から風景写真の撮影の趣味が再燃して絶景の風景写真の撮影をしてみたくなりましたので今回の旅行でも観光を重視した内容の物で旅程を組む事にしました。
4泊5日での1年に1度出掛けるかどうかの規模の大きな旅行になりましたがその行程の一つとして夕張市石炭博物館の地下の展示物を見物したと言う事でその事を書かせて頂こうと思います。 今回の旅行は夫との旅行ですが、レンタカー無しでの旅行ですので参考になればと言う思いがあります。
前回の記事はこちらになります。
観光スポットの概要
スポット名:夕張市石炭博物館
訪問日:2024年8月9日
時間:13:05→15:15
入場料金:720円(不課税)
夕張市石炭博物館の内部に入って有料の展示物を見る事になりましたが、荷物を持ちながらの移動で展示物が多いのですがそれらの物を見る事に対しての楽しみが出て来ました。 展示物は令和時代に入ってから新しくなりましたが、そう言った今時の感性での展示を見て夕張市と炭鉱の歴史を知りたいと思います。
夕張市石炭博物館は良くある博物館のように入口やコインロッカーで荷物を預ける形式の物では無く、入口を出口が異なっている一方通行の設計になっていると言う事を知って重い荷物を持ちながらの行動になりました。 夕張市石炭博物館のエレベーターを見て2階から地下に移動すると言う事で改めて一方通行の設計になっていると言う事を知った次第であります。
前回の記事では夕張の炭鉱で働く人々の実物大の人形を紹介していましたが、今回の記事では夕張の炭鉱で実際に使われていた機械が展示されている様子を紹介していきたいと思います。 こちらの展示物はグラウトポンプと呼ばれる機械で坑道の天磐や側壁等に出来る亀裂の崩落を防ぐ為のセメントミルクを注入する為に使われていた物になります。
こちらも夕張の炭鉱で実際に使われている機械になります。 ポンプの一部になっていますが、脚の部分は線路に合わせている物であるのか決められた幅の物になっていて坑道の至る所で使われていました。 実際に使い込まれた汚れや錆びが印象的な物になっています。
こちらの展示物は先程の機械のエンジンであろう物になっています。 黄色に塗装されていますが黒色の背景の前では浮き出るような感じで撮影をする事が出来ました。 金具等の接続口が多く設定されていて人間で言えば心臓のような物になっているのかなと思いました。
こちらの展示物は坑内列車の石炭の運搬車両になっています。 運搬車両は木製の車両になっていますが、現在の物に例えるとトロッコのような雰囲気になっているのかなと感じました。 夕張の炭鉱で採掘がされていた時代ではこちらの車両に石炭が積まれての運用になっていた物になります。
こちらの写真のパネルは炭鉱が栄えていた時代の夕張市の街並みになっています。 街として活気のある様子が目で見て感じさせられましたが、産業の転換が上手く行っていたのであれば人口が派手に減少する事も無かったのかなと感じせられただけに惜しい風景になります。
こちらの写真のパネルは採炭された石炭の仕分けの作業をしている労働者の物になります。 炭鉱の採炭の仕事とは異なっていて女性の方が多く作業に従事されている印象がありました。 昭和時代中期頃の写真であろうと思いますがその時代でも働く女性の姿が多いのが印象的に感じました。
こちらの展示物はアンレットと言う名前の機械になります。 ポンプのような感じの機械に見えますが、色褪せ具合と錆びの感じが実際に夕張の炭鉱の現場で使われていた物であると言うのが感じさせられます。 このような感じの水色や緑色が昭和時代の雰囲気が出ているのかなと思いました。
こちらの展示物は水中ポンプになります。 アイム社製の物になっていると案内板に書かれています。 水中で使われていたと言う事で塗装に剥がれが出ていて傷みが激しい物になっています。 水中でのポンプではありますが水中でも動作するセメントミルクを注入する為の物になっているのかなと思いました。
こちらの展示物は先程の物とは違う機械ですがグラウトポンプになっています。 ポンプのホースの部分は無くなっていますが、基となっているポンプの機械の部分が残されていて展示物としての整備がされています。 管やホースであろう物が繋がれていた接続口がきちんと残されていて資料的な価値があるのかなと感じました。
こちらの展示物はウォーシントンポンプになります。 坑内の排水で使われていた機械になりますが、実際に制作された時期は昭和37年、西暦で言えば1962年になっていて、単純に計算して60年以上前の機械が現在に残されていると言うのが見ていて感じさせられました。
こちらの展示物は救護隊の方が使われていたガスマスクになります。 保存状態が比較的良いのかマスクの本体とガスボンベの部分の形が残っています。 ケースも形として残されていて現在は必要とされていませんが夕張の炭鉱が栄えていた時代では現役で使われていた物であったのかなと感じさせられました。
こちらの展示物はガスブロワーになります。 炭鉱の坑外にガスブロワー室を設けて送風機を設置して炭層中のメタンガスのガス抜きボーリングをした穴から送風機の力によってガス誘導管を通して坑外に放出している機械になります。 現在では同じ機械の原理で発電技術に転用されています。
地下の展示室の中程には坑口神社と呼ばれている社が置かれています。 実際の炭鉱でも社が置かれていてその社に神様を祀って安全と無事故を願われていたのかなと思うと、炭鉱とは異なりますが旧家にあるような神棚も良い物であったのかなと感じさせられます。
こちらの展示物は安全灯になります。 大正時代の物から昭和時代初期の物と言う感じでかなり古い時代の物が置かれています。 照明器具に関しては平成時代や令和時代には安全性の高い素材に変わって照度が強い上に小型化して便利な物になったのかなと感じさせられます。
こちらの展示物は安全灯や検定灯になりますが、一番左側にあるのは何と明治時代に使われていた物になります。 120年以上前の物が残されていると言うのが奇跡的でしょうか。 他の物も大正時代や昭和時代前期に使われていた物ですので、保存状態が良くて後世に伝えるには良い資料になったのかなと感じさせられました。
こう言った照明器具を見ていると令和時代のアウトドア用のランタンは如何に軽くて安全性の高い素材で作られているのかと言う文明の進化の賜物であると言うのを実感しました。
ここまで8記事と長くに渡って紹介していた夕張市石炭博物館の見物に関しての記事ですが、地下の展示品の紹介も佳境になって来ていますが、後1記事分の物を制作して夕張市石炭博物館に関しての記事を完成させたいと思っています。 まさか博物館の展示の為にここまで記事数が増えるとは思わずでしたが、それだけ内容が濃くてさらに撮影自由の展示物が多い所が影響しているのかなと感じました。
次回の記事はこちらになります。