こんにちは、香澄真樹那です。 私の場合は幼少時は大阪市で過ごしていてその後大学進学と共に京都市に住むようになりました。 京都市に住んでいた時期は約5年でしたが、その後大阪市にある実家に戻って、2015年から埼玉県に住んでいる形になっています。 数か月程度の短期間の居住経験と言う意味では他の県の街もありますが、基本的には大阪市と京都市と埼玉県になります。

 

本題の体験格差の話になりますが、習い事に関しては余り習わせて頂けなかったのですが、数少ない習い事で未だにその時に学んだ感性が生かされている物としては6歳から11歳まで通ったスイミングスクールになります。 それもレギュラーで習う事が出来たと言うよりは夏休みや冬休みや春休みの時期に開催される短期講習でのみお世話になりましたが、お陰様でと言う訳ではありませんが金槌になる事無く泳ぐ事が出来ています。

 

それ以外では習字でしょうか、こちらの方は学んだ事が生かされる事が無くて癖字を書いてしまっていますが習ったと言う実績は出来ました。 習い事をしていたと言う訳ではなく独学で覚えたと言う物まで含めるとカメラに絡めての物でしたが、カメラ趣味、風景写真の撮影に関しては現在でも続けています。

 

私が習いたかった物としては富裕層の子供にあるような音楽系の物や舞踊系の物と言った発表会のある習い事になります。 ピアノを習いたいと言っても親から許可で出なくて、バレエを習いたいと言っても同じように許可されず、日本舞踊を習いたいと言っても許可される事がありませんでした。 私の場合は衣装を着て舞台に立っている姿の写真が欲しかったのですが、10代の頃まではそれが叶う事が無かった形になります。

 

舞台に立っている姿を味わいたいと思って求めたのが時代行列系の祭への参加でしたが、実家の近くではそう言った行事を積極的にする土地柄でも無く稚児行列に参加するような事も無かったのですが、京都市に引っ越していた時代でも一般公募型の時代行列系の祭の募集情報が得られる事が無かったです。

 

ある程度自由に行動出来ていた20代から30代の時になってようやく色々な地域に行ってそう言った行事に参加する事が出来た形になっています。

 

10代の頃からそのような趣味の活動が出来ていたら20代になって時代行列への参加費用で浪費する事は無かったと思いますが、私の周辺にはそのような情報が無かったのが惜しいです。 この点では情報化社会になって恩恵を得られたと言いますかそのような感じになります。

 

 

写真は2012年6月に三重県多気郡明和町で開催された「斎王まつり」での物ですが、この時には何年越しの思いで着てみたかった采女装束が着られて良かったです。 こう言った衣装を着ようと思えば一般公募の無い「葵祭」に代表される斎王群行系の祭に参加する事でしか実現しなかったのですが、それが京都とは違う場所で実現したのが嬉しかったです。 写真の背景に写り込んでいる人物に関しては肖像権への配慮の為、スマートフォンのアプリのSODAの一眼フィルターの機能でぼかしています。

 

20代から30代の時に時代行列系の祭への参加で舞台に立つような事も出来て10代の時に満たされなかった思い出が作る事が出来た形でしょうか。 時代行列系の祭に参加していて完全体での写真が欲しいと思うようになって、画を取るか出演実績を取るかで悩むようになって30代以降は画が確実に得られる衣装体験の趣味の方に進む形になりました。

 

私の場合は体験格差と言う意味では10代の頃までは恵まれている方ではないであろう物でしたが、20代以降それなりに恵まれる形になりましたでしょうか。 私の場合は20代以降にしてみたい事をある程度はカバーする事が出来ました。

 

それが出来ない方もおられると言う事でセキュリティーの面もありますが、夏休みの時期に学校の設備を開放したりすれば極端な体験格差が出来ないのではと感じさせられました。 電子媒体の鍵で学校のセキュリティーを管理するとか技術的には出来るのかなとも思いますが全国画一の規格で管理するのは難しいのかなと言うのがあります。

 

私よりも上の年齢層、アラ還以上の年齢層の方では物質的な物には恵まれなかったとは言え、夏休みの時期の校庭解放やプール解放で体験の面で充実していてほぼ画一的にその恩恵を受けられたと言う方もおられます。 以前の時代では一般層の方が画一的に体験が出来ていたのがそれが出来なくなって貧富の差が出来てしまって体験格差が広がったと言うのが今の時代であるのかなと思いました。