若い頃に書いた物を見せられると、ぎゃあああああっと叫びたくなります。
恐怖ですね(笑)。
確かに私が書いたけど、責任持てないわよー、と言いたくなる。
前回の『私の中に猫がすむ』なんて、まさにそれでした。
ただ私は、殿(板橋克己)の過去作に対して、さんざんそれ(掘り出してさらす)をやってきたので。
ざまあ見ろ、と言われても仕方ありません。
かつて私は、mixiで、殿のファンクラブを運営しておりました。
その時には、自分の作品の受賞歴・掲載歴は、一切具体的に公表しませんでした。
もう引退する、という段になって、ペンネームの一つをばらしましたが。
殿の引き立て役に徹する、と決めていたため、自分のことは出さなかったのです。
で。
今回、宮本ひかる先生(えのせさん)の過去作をさらします。
雅さんに色々書いていただき、えのせさんについてやっとわかってきて、嬉しいです。
でも、ご当人には恐怖かもね…
宮本先生、ごめんなさいっ! m(__)m
これ表紙。見開き。
『命燃ゆる海』 宮本ひかる
掲載誌は「COM」です。
内容は、いわゆる難病もの。
ほんの一部分だけ載せますが、もっと載せることもできます。
次回、全ページ貼ってしまおうかしら。
漫画としての完成度は高く、絵も大変綺麗ですが、「COM」の他の作品と比べると違和感が大きいです。
「COM」という本は、今から考えても決して「売れ線」の雑誌ではなく。
貧しくとも志は高く…
って感じの、孤高の本でした。
(ライバル誌「ガロ」が存在したので、「孤」ではありませんでしたが)
漫画という表現形式の可能性を、思いっ切り追及していて。
毎号、ぎょっとするような表現を持つ新人が出てきて。
「こんなテーマを、こんな描き方で!」
と、(熱心な読者だった私は)感心したり、打ちのめされたり。
手塚治虫にしても、連載していたのは『火の鳥』で。
これは「子供を喜ばせる」とか「健全育成する」方向の漫画ではなく、大人漫画とも言えなかった。
若くて、熱い本でした。
漫画家志望の少年少女には憧れの本だったのです。
で。
『命燃ゆる海』は、当時の断固たる「売れ線」の少女漫画だと思います。
それだからこそ「COM」の中では、「え?」と思わせられる物でした。
もっとも、読んだ記憶はなかったです。
記憶に残らなかったのですねー。
宮本先生、本当にごめんなさい。m(__)m
私も、少女漫画誌に持ち込みをしていた時、「女の子が病気で死ぬ話」を書いてきて、と言われたことがありました。
「可憐な少女が若くして死ぬ」のは、読者にはとても喜ばれるお話だったんです。
それも病気が原因なら、「だんだん最期に向かう」ところが、もしかして助かることもある?と思わせて、引きを作って大人気。
『命燃ゆる海』も、掲載誌が「COM」ではなく、「少女フレンド」だったらわかる、という物なんですが…
宮本先生も当時は少女漫画家であられたので、「王道で勝負!」という気持ちで描かれたのかもしれないですね。
川辺フジオ先生が原作を書いていらっしゃるかもね?
宮本ひかる先生は、本当にさまざまな絵柄を持っていらして、正体不明ですね。
雅さんのブログに載っている絵柄とも、是非比べてみてください。
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