今回は、マツダがRX-7などのEg(エンジン)として使ってきたロータリーEg
その歴史について書かれていた部分を、ピックアップしてみたいと思います。
自分自身でもクルマ好きで、チューニングをしたりドリフトをしていた
アツイ時期があったので、だいたいの事は知っているつもりでした。
"つもり"というのはよくあると思います。
でも、それで何かを見誤ってしまうコトもあるんですよね。
既成概念や今までの常識にとらわれていたら、
ロータリーエンジンは存在してなかったでしょう。
色んな角度から見る、やってみてトライ&エラーを繰り返す、
1つや2つの失敗なんてカワイイもんですよね。
興味深いREの歴史も知れたし、そこから学べるものもあるし
やっぱり、このマンガって凄いです
「城島先生て仕事がら色んな車乗りますよね
やっぱりRE(ロータリー)が一番いい?」
「全然。もし順番つけるならREはほとんど後ろでしょ」
「またまた」
「マジだって REなんて全然いいと思ってないもん ただし」
「前にも言ったけど
いい・わるいと、好き・嫌いはちがうよね」
「めちゃめちゃ好きと…」
「好きだねぇ もう、どうしようもなく
日本が本当に誇れるEgでしょ、REは」
「たしかにREて日本だけのEgなんですよね
やっぱすごいですよね、日本の技術って」
「あ、誤解しないように言っとくけど
REは日本人が作ったんじゃナイよ」
「え?だって…」
「世界で初めてのRE車は
1964年ドイツのNSU社から
日本、つまりマツダはREのパテント買って実用化に成功したメーカーなの」
'80年代、夢のEgと言われたREは
世界中のメーカーに研究試作されたのヨ
が、'73の第一次オイルショックを機に、ほぼすべてが手を引いていく
高出力化にやるガスの大食い、低い耐久性、幾多のトラブル
本家のNSUはREに固執しすぎ、そこがあだとなりアウディと合併
モノに出来たのは日本のマツダ ただ1社のみ
誇れるのは、その技術の高さじゃなく
最後まで投げなかった技術への、そしてREへの意地だ」
「世界中のメーカーって、どーゆう」
'72、東京モーターショーにヤマハがREのオートバイを出した
ヤマハは当時、トヨタの実質的なスポーツ部門、2000GT制作や'80年代まで使われた名機2T-Gもヤマハ製だ
NSUと合併したアウディの親会社はフォルクスワーゲン
当時VWはポルシェとは仲間、ほとんど親戚だ
そのポルシェはベンツとも案外ちかい
だがすべて研究試作でしかナイ
問題の多いREの実用化は不可能と判断したはずだ」
マツダ以外は、REを未来のないEgとして捨てたんだ―――
「アウディ―NSU社は'77、RE生産中止
本家NSUは事実上消滅
残ったマツダREも時間の問題といわれる―――
だがマツダREは排ガス規制もクリアし、出力を上げてゆく
誰が思った、ロータリーにターボがつくなんて
REの市販車がノーマル280馬力であたり前のように売られるなんて」
4ローターのレースマシンはル・マンに勝ち
そして街のチューニング屋は、あたり前のように500馬力のREを造る
かつての世界中の自動車人の中で
いったい誰がそれを想像できた
REは奇跡のEgじゃあないんだ―――
メーカー技術者の意地と―――
そして街のチューナーの意地で
走り続けたEgなんだ―――