湾岸ミッドナイト23巻 ロータリーエンジンの歴史 | (^^)make☆happy(^^)

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今は、何十年付き合うか分からない原発・放射能・放射線問題を中心に、健康被害・電磁波など情報統制に関する問題提起をしています。
その為に後藤田五訓などを参考に日々学び成長し続け、皆が幸せになるひとつのキッカケ・情報になれば嬉しいです(^-^)。

今回は、マツダがRX-7などのEg(エンジン)として使ってきたロータリーEg
その歴史について書かれていた部分を、ピックアップしてみたいと思います。


自分自身でもクルマ好きで、チューニングをしたりドリフトをしていた
アツイ時期があったので、だいたいの事は知っているつもりでした。


"つもり"というのはよくあると思います。
でも、それで何かを見誤ってしまうコトもあるんですよね。


既成概念や今までの常識にとらわれていたら、
ロータリーエンジンは存在してなかったでしょう。
色んな角度から見る、やってみてトライ&エラーを繰り返す、
1つや2つの失敗なんてカワイイもんですよね。


興味深いREの歴史も知れたし、そこから学べるものもあるし
やっぱり、このマンガって凄いですビックリマーク


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「城島先生て仕事がら色んな車乗りますよね
やっぱりRE(ロータリー)が一番いい?」

「全然。もし順番つけるならREはほとんど後ろでしょ」

「またまた」

「マジだって REなんて全然いいと思ってないもん ただし」



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「前にも言ったけど
いい・わるいと、好き・嫌いはちがうよね」

「めちゃめちゃ好きと…」

「好きだねぇ もう、どうしようもなく
日本が本当に誇れるEgでしょ、REは」

「たしかにREて日本だけのEgなんですよね
やっぱすごいですよね、日本の技術って」

「あ、誤解しないように言っとくけど
REは日本人が作ったんじゃナイよ」

「え?だって…」

「世界で初めてのRE車は
1964年ドイツのNSU社から

日本、つまりマツダはREのパテント買って実用化に成功したメーカーなの」



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'80年代、夢のEgと言われたREは
世界中のメーカーに研究試作されたのヨ

が、'73の第一次オイルショックを機に、ほぼすべてが手を引いていく
高出力化にやるガスの大食い、低い耐久性、幾多のトラブル

本家のNSUはREに固執しすぎ、そこがあだとなりアウディと合併
モノに出来たのは日本のマツダ ただ1社のみ

誇れるのは、その技術の高さじゃなく
最後まで投げなかった技術への、そしてREへの意地だ」



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「世界中のメーカーって、どーゆう」

'72、東京モーターショーにヤマハがREのオートバイを出した
ヤマハは当時、トヨタの実質的なスポーツ部門、2000GT制作や'80年代まで使われた名機2T-Gもヤマハ製だ

NSUと合併したアウディの親会社はフォルクスワーゲン
当時VWはポルシェとは仲間、ほとんど親戚だ
そのポルシェはベンツとも案外ちかい

だがすべて研究試作でしかナイ
問題の多いREの実用化は不可能と判断したはずだ」



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マツダ以外は、REを未来のないEgとして捨てたんだ―――


(^^)make☆happy(^^)-56

「アウディ―NSU社は'77、RE生産中止
本家NSUは事実上消滅
残ったマツダREも時間の問題といわれる―――

だがマツダREは排ガス規制もクリアし、出力を上げてゆく
誰が思った、ロータリーにターボがつくなんて

REの市販車がノーマル280馬力であたり前のように売られるなんて」

4ローターのレースマシンはル・マンに勝ち
そして街のチューニング屋は、あたり前のように500馬力のREを造る



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かつての世界中の自動車人の中で

いったい誰がそれを想像できた

REは奇跡のEgじゃあないんだ―――



(^^)make☆happy(^^)-58

メーカー技術者の意地と―――

そして街のチューナーの意地で

走り続けたEgなんだ―――




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