20世紀終了間際1989年ベルリンの壁が崩壊し、1991年ソ連崩壊。東西冷戦構造が終わりを告げた。
共産主義の理想は、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」というフレーズに代表されるように、勤労の喜びを一種理想郷の原点とする見方であった。
かつてマルクスは、労働価値説や剰余価値論を基本理論とする『資本論』の一大体系において、その労働の喜びを搾取されている状況を価値論を基準に分析して見せた。
ソ連社会主義共和国連邦憲法第12条にはこうある。
ソ同盟においては、労働は、『働かざる者は食うべからず』の原則によって、労働能力あるすべての市民の義務であり、名誉である。
朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法第83条
労働は、公民の神聖な義務であり、栄誉である。(以下略)
(以上wikipediaより)
日本においては、労働は道徳的義務の範疇で義務化されており一種の権利として見る考え方が強いが、社会主義諸国においては義務化されており、強制労働も栄誉であるという解釈・法的根拠を与えられることとなる。
法律論は兎も角、勤労というとどうしても義務としてみる見方が強い。
そして勤労無くして産業も成り立ち得ない。経済の根底に、人間労働が存在する。
労働に関しての考え方を根底から変える必要を感じている。
「労働の義務」ではなく、「創造の権利」として、法体系を変えることを主張したいと考えている。
働くと云うことは、創造することだ。
人間の創造性によって、新しい商品、新しいサービスを作り出し、それが広がっていくことで社会は進歩し、豊になっていく。
創造した者もそれを利用する者も喜びを享有出来る社会。
3Kの仕事は段々とロボットが代替できる時代が来ている。
社会の転換期には、ダライト運動が起きていたが、結局それは人間の尊厳を貶め、一時的に生活を守ったとしても静かに消えていく職業となった。これは国レベルで見てもよくある。
アナログの全てが無くなっていくとは思わないが、デジタル化した方が遙かに効率よく、便利になっていく分野が多く存在する。
機械化,IT化を進めていくことで、人間の本来の創造性を発揮できる時代が来ようとしているのに、頑として受け付けない勢力がある。
もちろん非難する意味で言っているのではない。
「働く=生活する」と云う図式で考えれば、新しいやり方を認めてしまうと「生活できない=死」を意味する様な状況を抱えている人の立場も解る。
人間がロボットと同じように働かなければならない社会のあり方を深く考えてみる必要が有ると思うが、その一つのキーワードとして「働くと云うこと=創造活動」と云う考え方が重要だと思っている。
働くということが、単に生活すると云うことではなく、創造すると云うことは、人間としての本来の生き方にもつながってくる。

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