サリン事件や霊感商法、最近ではオセロ中島の事件など、マインドコントロールネタで宗教が語られ、面白可笑しく報道され、一般的には宗教は危ないというレッテル張りで方付けられてしまうことが多いが、この種の事件の捉え方は、日本や世界の未来を見る上で、非常に重要だと思っている。
森達也氏が最初の発言で語っていたように、マインドコントロールはどこにでも有るという観点は、当たり前のことだが、まず重要な指摘だろう。
教育も一種のマインドコントロールだし、宗教全般もマインドコントロール、音楽や文化も一種のマインドコントロールだ。
そういう意味で言えば、マインドコントロールをすぐに犯罪に結びつけることは早計だ。
何故オウムが犯罪に走ったのか!
中東での紛争や、自爆テロ、古くは十字軍やレコンキスタ、宗教を原因とする戦争や殺し合い、犯罪は枚挙にいとまがない。
森達也氏が語っていたように宗教は死後の世界について語る。
超能力や霊界、輪廻転生、終末預言、、、。
森氏に依れば、オウムと他の宗教は、取り立てて大きな違いはないという。
逆に言えば、多くの宗教も一歩間違えれば、同じく犯罪に走る可能性も有るわけだ。
宗教だけではない。特段固有の宗教を信じていなくとも、神や輪廻、霊界、超能力を信じている人は多い。
ここで考えを止めてしまうと、「だから、宗教や超常現象を信じるのは危険だから止めときましょう」と言う結論に到達する。
安易ではあるが、答えの簡単に出ないテーマであり、忙しい毎日を送っている人たちにおいては、それがスマートな結論ではある。
個人的意見として、全ての存在空間で人間はマインドコントロールの状況におかれている以上、犯罪の予備軍である事は間違いない。
宗教を信じないことが犯罪に向かわない解決策ではなく、心を育て本心を成長させていくことが重要と考える。
問題は本心と良心が齟齬を来たし、個人的・組織的に迷う段階に来たときどう判断し、決断するか、ということだ。
これは実際問題として非常に難しい。
光の輪では、聖地巡礼をし、自然とふれあうことでより正しい悟りに向かう努力をしているとのことだがそれも必要なことだ。
正しい認識に如何に到達するか、と言うことは近代哲学の一つの重要なテーマだったが、科学と同様理論と実践を繰り返し、不断に新しいより高い認識に到達する努力を繰り返すことが、宗教だけでなく日々の生活でも重要な事だと思う。
