1971年当時の沖縄返還密約事件、いわゆる西山事件を題材にしたドラマだ。
国家機密に対する解釈は、どの次元で正義を主張するかによって解釈が異なるのでそれぞれの解釈があるのだろうと思う。
その事件の評価は、時代によって変わってくる可能性があるが、いずれにせよ国家機密は存在し、場合によっては個人は犠牲にならざる負えないケースはある。
国策というものがある。
憲法上の建前は、国会で議決して決められていくはずだが表の論理で進めていては埒が明かず、大局的見地からどうしても進めて行かなくては国家的損失を被るかも知れないケースがある。
特に外交問題に関しては、そのケースは多いのだろう。
原子力政策、エネルギー政策にもそれと似たような状況があるのだろうか。
日本近海には莫大なエネルギー資源が眠っているらしいが、今になってもなかなか前に進まない。
五木寛之の新著に「下山の思想
10万年にも及ぶ核の最終処理にかかるトータルの経費は天文学的なものになり、使用済み核のゴミがもたらす危険度は幾何級数的に増大していくが、それには「ほおかむり」をして経済至上主義の論理で尚も前進を続けようとする原子力政策。
「下山の思想」の中には、下山してどの方向に向かうのかということについては特に何も記されていないが、現代の日本や世界の状況は、原子力、財政赤字等々、まさに下山の決断を迫られている場面である。
レミングスのネズミのように、破滅の崖っぷちに盲目的に突撃している状況であることを冷静に見極め、方向転換する勇気を持つべきではあるまいか。