今回のバングラデシュ看護師育成プロジェクトでは、緊急時にも対応できる看護師の育成が現地から強く望まれたものでありました。
2013年4月に起こった1100人以上の死者を出した、あのビル崩壊からも時間は経過していきます。
あの時、Future Codeバングラデシュ支部長 シャキブル・ラーマン医師が現場で感じた葛藤。
そして彼が今訴えるこのプロジェクトへの想いがここにあります。ご覧ください。
Future Codeバングラデシュ 医師 シャキブル・ラーマン
2013年4月24日、バングラデシュ 首都 ダカ。
私はビルが崩れたという衝撃的なニュースと共に飛び起きた。
シャバール(バングラデシュの地名)で起きたラナ・プラザビルの崩壊に、国中が深い悲しみに包まれたその日だった。
(2013年4月28日 CNNより)
テレビでは生存者が救出されている様が映し出されていた。
私はすぐに地元の機関に連絡し、もっと詳細な情報が分かるように努め、同時にFuture Code代表 大類医師に連絡を取り、この状況で我々が出来る行動を取るべく話し合い、日本のFuture Code本部からも緊急医療チームの派遣を検討した。
しかし残念ながら、軍は二次災害の危険から現場を封鎖、情報は錯綜し、状況は極めて困難であり、結論として我々にすぐに出来ることは何もなかった。
私は被災現場を訪れた。
いくつかのNGO(非政府民間組織)は治療や、食糧配給、薬の配給を行っており、貿易連盟も食糧や宿泊施設をけが人の家族や付添い人に提供していた。
いくつかの病院では多くの患者が治療を受けていることは分かった。
しかしながら、現場の近くには、怪我をした患者たちを適切かつ迅速に治療できる病院やクリニックはなかった。そして現場には医療スタッフは少なく、特に医師よりも看護師は足りていなかった。
このような状況でも新たに医療チームを組織するだけの人材もおらず、何も出来ず、見守るしかできなかった。
ラナ・プラザビルの瓦礫の中で、手や足、またはその両方を失った人々には、これから多くの過酷な運命が待ち受けている。
今から何度考えても、今の状況では、悲劇の後に何時間も何日も、たとえ何週間も費やしたとしても、瓦礫の下の彼らを救うことはできなかっただろう。
しかしながら私はこの状況は変えることができると思うのだ。
もし、この国でもっと多くの教育を受けた医療従事者が育っていくなら、必ずこの状況は変えることができるはずだ。
2005年にも、同様の事件があった。シャバールのセーター工場が崩壊したのだ。その時も多くの人々が怪我をし、そして亡くなった。
これらの出来事は労働者の安全を考えるきっかけとなり、危機管理や運営者側の責任を問うものとなった。
しかし未だに緊急医療体制や、教育された看護師がいないという問題は解決されないままである。
私は思う。
今回の悲劇のように、次に起こるかもしれない悲劇に備え、もっと多くの教育を受けた医療従事者、特に看護師をバングラデシュは今、必要としている。
この事故では、1127人が亡くなり、負傷者は25000人以上といわれている。
この悲劇の死者の魂に安息と平和が共にあることを祈り、そして怪我をした者たちが回復することを願う。
そして、救援チームと数え切れない多くの人々がこのバングラデシュの大きな悲しみに彼らの時間を捧げ、我々を助け、支えてくれていることを、感謝して止まない。
バングラデシュ支部長 シャキブル・ラーマン
(以上)
あの日、彼が現場で感じた悔しさは、私たちの想像を超えるものだったに違いありません。
医師として、そしてバングラデシュ人として、現場にいるのに、がむしゃらに働く事もできないという悔しさは深く刻まれ、尽きることのないものでしょう。
災害は、いつも多くの悲しみと葛藤、それに悔しさを生み出します。
私たち日本人も、その多くを経験しています。
災害が起こった後、なんとか彼の想いに応え、現地で共に奮闘しようとしたのですが、混乱の中、現地に入る調整は難航し、72時間以内に現地に入ることができず、やむなく断念しました。あの時、シャキブル・ラーマン医師の想いに、昔私も震災の現場で感じた共通した感情を見たことを強く覚えています。
この悔しさを忘れず、そこに留まらず新たな行動を起こし、実践していくことこそ、私たちができる、そしてすべき行動であると私たちFuture Codeは信じ、前に進みたいと思います。
代表 大類 隼人