「エゴを消せば悟れる」という二元性の罠 | 非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

今日、ランチを食べていたら、隣のテーブルにいた2人の女性がスピリチュアルの話で盛りあがっていて、こんなことを語りだした。

 
「ほんと、あの人のスピリチュアル・エゴって強烈だよね。私を踏み台にして、自分のステージを上げようとしないでほしいわ」
 
この発言を聞くと、エゴという悪者が存在しているように思える。
 
そして、覚醒するには、このエゴを消す必要があると思いこんでいる人がたくさん人いて、非二元(ノンデュアリティ)のセッションでも、「どうすればエゴを消せるのか?」としょっちゅう質問される。
 
もし、あなたが、エゴを消そうとして、何らかの努力をしているなら、「エゴを消そうとしているのは、誰なのか?」と一度、考えてみるといい。
 
「エゴが消えれば、私も悟れる」
そう思っているのは、エゴなのではないだろうか?
 
「あの人は非二元性に目覚めて悟ったと言ってるけど、私はまだその境地に至っていない。私も速く目覚めて、あの人のような特別な存在になりたい」
このような考えこそ、「自分」と「他者」とを分けている分離(二元性)の考えそのものではないだろうか?
 
エゴを消せば(条件)、覚醒できる(目的地)。
これこそ、マインドがつくりだした条件付きの考えであり、このトラップに引っかかると、ここにある意識を見失い、苦しい探究が続いてしまう。
 
あのエックハルト・トールだって、この条件づけの罠に引っかかり、苦しみ続けた。
 
でも、一なる意識の目覚めに、条件などない。
それは常に目覚めている。
 
悟りを求めて苦しい探究が続いている間も、意識は完全に目覚めている。
 
この完全さに気づくのに、エゴを消す努力も時間も必要ない。
 
この完全性は、エゴと呼ばれている思考も、エゴを消そうとしている思考も、無条件に愛している。
 
意識は、不完全に思える思考さえ、完全に許容している。
 
お知らせ
苦しみから逃れようと、悟りや覚醒を求める探究が続き、焦りを感じている方は、非二元のプライベートセッションをお受けください。