非二元とは何かを説明するとき、「スクリーン」と「映像」の関係がメタファー(たとえ)としてよく使われる。
しかし、このメタファーは、スクリーン(気づき)と映像(現象)との一体性をうまく表現できてはいても、スクリーン(気づき)から隔たれた位置(観客席)に、映画を眺めている「私(観察者)」が別に存在している、という二元性を想像させてしまう点で、メタファーとしてあたりうまく機能しないことがある。
昨日も、実際に映画を観ながら感じたのだが、映画館のスクリーンは視界よりも小さくて、どうしても「こちら側からあちら側のスクリーンを観ている」という距離感を生んでしまいやすい。
その点、同じ映像のたとえを使って、非二元性を説明するなら、プラネタリウムの方が映画より適しているように思えた。
プラネタリウムのスクリーンは、ドーム型の天井全体に広がり、上映が始まるとあたりが真っ暗になって観ている自分の姿も完全に見えなくなる。
存在しているのは、今、現れている星空だけ。
そう感じられる点で、映画よりもプラネタリウムの方が非二元性を感じやすいのではないかと思えた。
そして、上映が終われば、時間とともに動いているように見えた星空の映像は消え、何もないスクリーンが現れる。
見えないスクリーン(気づき)に、見える星空が本当に存在しているかのように現象として現れていただけ、という「目覚め」の感覚まで疑似体験できる。
しかし、非二元性を説明するたとえとして、プラネタリウムの方がしっくりくるとわかっても、それがメタファーであるがゆえに欠点も露呈する。
それは、上映が終わって明かりがつくと、星空が消えてスクリーンだけが現れるのではなく、先ほどまで星空を観ていた人間の姿まで現れてしまうからだ。
「スクリーン(気づき)」と「人間(観察者)」が距離をおいて別々に存在している。
この二元性を露呈してしまう点で、結果的に「映画」のたとえと変わらなくなる。
このように、メタファーにはメタファーとしての限界があるが、それでもプラネタリウムは、気づきと現象の「一体性」、さらには「目覚め」が起きた時の感覚を現わすメタファーとして、有効に機能するように思えた。
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