今日は、タデウス・ゴラスの「なまけ者のさとり方」を読んだことのある男性と非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやった。
悟ろうとしている「私」。
解き明かさなくてはならない真実があると思い込み、なぜ、なぜ…を繰り返し続けてきた「私」。
そんな私がいることになってるけど、その私が本当に存在してるだろうか?
今日も、それを確かめてもらった。
個人の私なんて、どこにも見つけられない。
私なんて、概念でしかなかった。
それがわかると、たいていこんな言葉が出てくる。
「私がいないとわかったら、なんとなく虚無感を感じる」
でも、これも「私が虚無感を感じている」という重苦しい私のストーリーに過ぎない。
存在しているのは、ストーリーではなく、「生」。
私が消えれば、たちまち生のフレッシュさによって、空は満たされる。
満ち溢れた生があるだけで、「虚無」を感じているような私なんて初めから存在していない。
お知らせ
悟り、スピリチュアルを探求し続け、「これはどういうことなんだろう?」と考えてばかりいるなら、分離の思考のトラップにハマってしまっています。
思考の渦から抜け出して、ラクになりたい方は、非二元のプライベートセッションをお受けください。