禅や非二元がわかると、「自分」がいなくなる。
手を見ると、私たちは「これは自分の手だ」と思ってしまう。
手は実際に見えている。
しかし、それが「自分の手だ」と言うなら、その「自分の」という自分は、どこに見えるか探してみるといい。
きっと見つけられないだろう。
「手」は確かに見えているものだが、「自分」は見えない。
なのに、「これは自分の手だ」と人は思いこんでいる。
禅は、このようなアプローチで、「自分がいない」ことを確かめさせてくれる。
自分がいなくなると、苦しみがなくなる。
痛みを感じることはあっても、苦しみは消える。
なぜなら、痛みは「感覚」として実際に感じられるものだが、苦しみは、「自分がいる」という前提がなければ、誰も苦しめなくなるからだ。
苦しんでいるのは、私。
苦しみ=私。
だから、人は苦しみを感じると、ラクになりたくなって、自分を無くしたくなる。
そして、体をなくせば自分がなくなると勘違いして、自殺を考えたりする。
しかし、手も体も見えるものであって、それは苦しんでいる自分ではない。
見えない自分をなくすのに、見える体を傷つける必要はない。
痛みと苦しみとを、混同してはいけない。
痛みがあっても、痛みに苦しんでいる「自分」がいないとわかった瞬間に、苦しみは消える。
これを悟ったのは、仏陀だ。
そして、手を見て、私とは、「ワタシ」という音の響き、概念に過ぎないことを確かめさせてくれるのが「禅」であり、「非二元」だ。
矢沢大輔
追伸
禅や非二元を知ると心が軽くなります。
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