私は小学一年生の時から中学三年生までの九年間、座禅をしていた。
座禅の意味もわからず、少林寺拳法の道場に通っていたので、週に三回、座禅していた。
禅宗の達磨大師の教えに基づいたものであることは知っていたが、座禅がなんのためにあるものなのかわからないまま、ただ板張りの堅い床に座っていた。
「空」を実感したことがあるかというと、一度もなかった。
般若心経で唱えられている通り、自分が空であり、目も鼻も口もない存在であることに直接気づけるようになったのは、曹洞宗の開祖、洞山が「本顔」に至れたのと同じプロセスを体験させてもらってからだった。
その時、はじめて本顔のひとつ眼が開いた。
私の人生を振り返ってみると、このように、なぜか禅宗に関係している。
そして、私が知識武装して生きようとすると、「この世の中も、人生も、そんなややこしいもんじゃないんだよ」と、いつもこの宇宙が、私の知識を粉々に叩き割ってくれる。
本顔のひとつ眼から見る景色は、今日も軽やかで美しい。
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