他人は変えられないが、自分は変えられる?他人は変えられないが、自分は変えられる。 最近、よく聞く言葉だが、私はこの言葉に、ある作為を感じている。 他人を変えたいがために、その方法として、自分を変えようという作為。 方法を変えたところで、結局、他人を変えようとしていることに違いはない。 他人を直接的に変えようとしているのと、表面的には違って見えるだろうが、内側の精神は何も変わっていない。 いや、作為的で巧妙なエゴの思考がむしろ増しているのかも。