覚醒とは | 非二元|縁起的現象としての「私」

非二元|縁起的現象としての「私」

宇宙的自己に目覚める記事を配信。
「迷悟」「苦楽」「生死」の相対を超えた「身体・宇宙」一如の絶対的あり様とは?
迷い、悩み、苦しみのない、日々、生き活きとした生活の実践。

自我(エゴ)の私は、二元性の世界で生きている。


喜びと悲しみ
成功と失敗
生と死
愛と憎しみ
金儲けと借金
私と相手
見方と敵
獲得と喪失
自信と落胆
健康と病気


その二元性の世界の中で、私は、少しでも快適に過ごせるようにと、一本のきれいな人生ラインを整えようと努力してきた。

でも、どこまで整えていっても、反対の極性は必ずやってきた。


それもそのはず、私とはこの肉体と思い込み、自我の意識で二元性の世界を生きてきたのだから。


原発のおかげで便利な暮らしを享受すれば、今、その原発によって自然が破壊されていくように、歴史上、どれだけ文明の栄えた大陸、国であっても、その文明の進歩によって全てが滅んでいく。
それがこの物質の世界、二元性の世界。


ならば、どちらにしても両極を経験するなら、自分の好きなことをやって生きようぜ。
思いっきりエゴを楽しもうぜ。
そう訴える人がいる。


これもニヒリズムの裏返し。
究極のエゴの言葉。


二元性の中でどれだけレベルを上げたとしても、所詮、二元性の中にいることに変わりない。
これぞ、出口のない、終わりのないラットレース。


だから、そんなエゴの囁きに目先をそらされてはいけない。


それは、二元性を超えたところにある真実の愛、至福に気づかせてなるものかという、エゴの抵抗の声なのだから。


覚醒とは、エゴから目覚めること。

本当の私=真我に戻ること。


それ以外の覚醒は、エゴが装った「偶像の覚醒」にしか過ぎない。


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