自我(エゴ)の私は、二元性の世界で生きている。
喜びと悲しみ
成功と失敗
生と死
愛と憎しみ
金儲けと借金
私と相手
見方と敵
獲得と喪失
自信と落胆
健康と病気
その二元性の世界の中で、私は、少しでも快適に過ごせるようにと、一本のきれいな人生ラインを整えようと努力してきた。
でも、どこまで整えていっても、反対の極性は必ずやってきた。
それもそのはず、私とはこの肉体と思い込み、自我の意識で二元性の世界を生きてきたのだから。
原発のおかげで便利な暮らしを享受すれば、今、その原発によって自然が破壊されていくように、歴史上、どれだけ文明の栄えた大陸、国であっても、その文明の進歩によって全てが滅んでいく。
それがこの物質の世界、二元性の世界。
ならば、どちらにしても両極を経験するなら、自分の好きなことをやって生きようぜ。
思いっきりエゴを楽しもうぜ。
そう訴える人がいる。
これもニヒリズムの裏返し。
究極のエゴの言葉。
二元性の中でどれだけレベルを上げたとしても、所詮、二元性の中にいることに変わりない。
これぞ、出口のない、終わりのないラットレース。
だから、そんなエゴの囁きに目先をそらされてはいけない。
それは、二元性を超えたところにある真実の愛、至福に気づかせてなるものかという、エゴの抵抗の声なのだから。
覚醒とは、エゴから目覚めること。
本当の私=真我に戻ること。
それ以外の覚醒は、エゴが装った「偶像の覚醒」にしか過ぎない。