ここ数日、自分の影の部分に焦点をあてて、人生から切り離していたものを取り戻す作業を行い続けています。
この作業を通じて、自分のこれまでの人生の認識が180度ひっくり返る体験をしたので、今日はそのことについて紹介します。
47年の人生を振り返って、ツライ思いをした割には何も得るものがなかったと認識していることを洗い出してみました。
真っ先に浮かんだのは、「18歳の時に新聞配達をして暮らした一年の体験」でした。
私は高校3年になる春に高校を中退し、大学受験を目ざして、住み込みで新聞配達をしていました。
住み込み用に用意されていた住居は、築30年は経っているだろう4畳半一間のオンボロアパート。
手洗いも洗面所も共同でした。
毎朝4時に起床して、毎日、同じ道のりをたどって、300件ほどの配達先に新聞を配っていました。
台風でどれだけ雨が降ろうが、冬に雪が積もろうが、来る日も来る日も同じ作業の繰り返しでした。
新聞配達をしていたこの一年に得られたものは、給料以外に何もなかった。
その後の自分の人生に活かせそうな「知識」も「技術」も、何一つこの仕事から得るものはなかった。
この30年間、ずっとそう思いこんでいました。
ところが、自分の人生を30年スパンで振り返ってみると、得るものがなかったどころか、この一年の間に、私のその後の30年の生活を支える、とても重要なギフトを得ていたことに気づいたのです。
それは、食べものの好き嫌いがなくなったことでした。
いまの私を知っている人は信じられないかもしれませんが、新聞配達をはじめるまで、私は食べものの好き嫌いが多くて、肉も魚も食べられませんでした。
食べる量も少なくて177センチの身長で60キロくらいの体重でした。
新聞配達の仕事は、朝夕刊合わせて4時間半ほどかかっていました。
毎日相当な運動量で、新聞が配り終わった時は、腹ペコ状態でした。
新聞を配って帰ってくると、食堂には食事が用意されていました。
腹がすいていたので、もう好き嫌いなんて言っていられませんでした。
すき焼きで大量な肉が用意されていた時も、自分が食べなければ、その分、人に食べられてしまうので、必死に食べました。
そのおかげで、一年後には、好き嫌いがまったくなくなっていました。
そして、新聞配達を終えてから4年後、23歳の時に私はコピーライターになっていました。
大阪梅田にある阪急百貨店の宣伝部で、地方のおいしいものや工芸品などを取材して、「北海道物産大会」や「九州物産大会」のコピーを書く仕事をしていました。
さらに、その10年後には、ソムリエの資格をとって、ワインの本を出版し、「Oggi」や「ミス家庭画報」でおいしい料理とワインの組み合わせを紹介する記事を連載していました。
そして、今、現在もレストラン業のマネジャーを育成するコーチングや研修の仕事をやっています。
この30年間の自分の仕事を振り返ってみて、新聞配達時代に好き嫌いをなくしていなければ、すべて成り立ちそうもない仕事ばかりをやってきていたことに、私は気づいたのでした。
新聞配達をやっていた一年だけを取り出して見ている限り、そこには、ツライ思い出しか見い出せませんでした。
ところが、30年という長いスパンで人生をとらえなおしてみると、新聞配達時代の一年が、その後の30年の自分の生活を支えるとても大きな役割を話してくれていたことに気づくことができたのです。
人生に無駄な体験など一つもない。
それがどんなにツライ体験であっても、長い人生全体の中でその体験をとらえ直してみると、そこには必ず大きなギフトが隠されている。
いま、私は、このことを深く確信できるようになりました。
あなたにとってのツライ体験は、なんでしたか?
もう忘れ去りたいと、ずっと思いながら、忘れられないでいる体験はなんですか?
あなたの本当の光は、あなたのその影の向こう側に隠れています。
その光の存在をあなたに気づかせようと、影はあなたをずっと追いかけてきてくれています。
そこに光があることをあなたに気づかせようと、訴えつづけてくれています。
光のないところに影はできません。
影のないところに光は存在しません。
いま、あなたに必要なのは、影を見る勇気です。
影が濃けば濃いほど、その向こう側に強い光が隠れています。
影に隠れたその光を見に行きたくなったら、今すぐ私に連絡してください。
あなたがあなたの本当の光に出会うお手伝いができるよう、私はあなたよりほんの少し先に、自分の光を見に行き、その方法をつかんできました。