最近、母がやたら老後についての本を読んでいます(^_^;)。
父はまったく関心がないようですが、母は『おひとりさまの老後』(上野千鶴子さん著)等々、父亡き後の事まで考えているように思えます(ノ_・。)。
母が読んでいた本の中で、『老年の豊かさについて』(渡部昇一さん著)を、なんとなく読みましたら、とても気になる記述がありましたので、紹介したくなりました。
この本の中に、
「年を取ると小説の見方が変わる」という項目があります。
そして、川端康成さんや夏目漱石さんの小説を「つまらない」と一刀両断しています。
なぜかと言いますと、老年になると小説家が小説を書いた年齢よりも上になり、書かれているテーマが幼稚な事に思える、あるいは、青臭く思えるからだそうです(^_^;)。
いくつか抜粋しますと、
『「雪国」は、筋もないし、「つまらない」の一語に尽きました。』
『「千羽鶴」は、ちょっと異常な状況で川端さんが自分の骨董趣味をひけらかすために書いたのかなと思えるような、安っぽさを感じました。』
『「道草」は、自分の女房のお父さんから借金を頼まれた主人公が、義父にお金を貸すか、貸さないかを悶々と悩むところだけが丁寧に書かれています。
これを50歳ぐらいで読むと愕然とします。
そんなものは30分くらいで解決できることで、小説のタネにはなりません。』
なるほど、老年の方々に納得してもらう小説を書くのは難しそうだなぁと思いました(^_^;)。
明治の大文豪もノーベル賞作家もバッサリ斬られています。
なんとなく、やはり、小説よりも映画やドラマにした方が共感してもらう余地があるかもしれないとも思いました。
『人生について』や『恋愛について』を、10代、20代の若い作家が書いても、40代以降の方々からしたら、青臭いと思うのが当然かもしれません(ノ_・。)。
しかし、人間には普遍的な部分がどの年代にもあるはずです。
老年になってからしか小説が書けないわけでもないので、
書ける人は10代から書き始めても良い、というか、書きたい気持ちを誰にも止められないでしょう。
その時、その時、書きたい事を書く。
その評価が、『つまらない』でも『青臭い』でも仕方がない。
自分の理想的な人間、美しいと思う生き方、などを、書き続けて行く。
それが普遍的などうかは時の流れだけが知っている。
何かを作り出そうと思っている人は、ある意味開き直って創作するしかないですね(^_^;)。
しかし、渡部昇一さんは、漢詩や俳句は小説と違って、読者が年を取っても感動すると書いておられます。
島崎藤村さんが若い頃作った『千曲川旅情』の「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ」という詩は老年になってもジーンと来るものがあるそうです。
その他、『菜根譚』は老年になると、賛成できないことが多くなるとのこと。
『論語』は、年をとればとるほど、「なるほど!」と思うらしいです(^_^;)。