№43
8月15日 終戦記念日。
日本は、なぜ、早い時期に、敗戦は、判っていたのに、戦争
を、終わらせられなかったのか?
67年経った今も、歴史が問われている。
昭和20年 イギリス・アメリカ・ソビエトによる、
ヤルタの、密約会談。
日本の陸軍も海軍も、知らなかったと言われていたものが
実は、
知っていた。
外務省は、知らなかったという様に、
情報が、共有されなかった。
7月末までに、
ソビエトが、参戦して来る事は、早くから、
判っていて、軍も政府の証言から、終戦と言っているが、本
当の意味は 「降伏」 これは言えないから、決めていながら
も、ずるずると、引き伸ばしていたと言う。
ずるずるするところは、今の、
わが地方自治体と、本件、
同様のようだね。
学者等の専門家が言う。
(優秀な者の考えに) 引き伸ばしが多い、傾向だそうである。
「アメリカの謀略」 だ。とか 「海軍が責任を取らされる」
とか、あかん事に、考えを巡らすんだね。
ソビエトが、やって来ると判っていても、日本人は、悪い状態
に成れば成ったで、これ以上、悪くはならないんだから。
都合の良い、思い上がる (受け取る、読み取る、言い訳)
する。
日本人は、今の時代でも、実に、そうやって言う人が、多い。
敗北を、認める事が出来ず、弱体化しても、情報を知りなが
ら、軽視、侮ると言う傾向 (優秀な者に多い)
胡坐 (あぐら) を、かいてしまう。
「本土決戦」 は、極めて困難。
陸軍のトップは、降伏受け入れを、決めていたが、あくまでも
「徹底抗戦」 の構えを、主張したと言う。
それは、曲げるに、曲げられない講和を決め 「無条件降
伏」 すれば、天皇が殺されてしまう。と、考えが、あった様で
もある。
「一撃をくらわせてから」 と、決めたいと、考えていた様だ。
もたもた、決められない理由が、その考え、戦争指導者らの
腹底にある。
そのため大きな犠牲が払われてしまった。
最後になって、 起きたのが、①シベリア抑留 (満州でソビ
エトに身柄を拘束され、57万人の命が奪われた)
それから、②中国残留は、満州・蒙古への開拓で、ソ連軍
が侵攻して、関東軍が撤退して、日本に帰国出来ず、中国
大陸に置き去りにされた日本人の事やね。
③ ロシアが、自分の領土として、占領実行支配している、
北方四島 (択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島) 日本が、
返還を求めている、領土問題が、こうやって起きた。
最後の3ケ月間に、バタバタと、60万人が犠牲になって、
陸軍も海軍も、戦争は出来ない事を知りながら、6月22日の
天皇との会議においても、決められなかった。
日本人は、会議が好きなんですね。会議、会議、腹で決めて
る事と、会議では、裏腹な事を.天皇に報告したり、何も決め
ら れないのに、会議を開くが、方針が、変えられない。
そうこうしているうちに、20年7月16日 アメリカは、
原爆の 実験に成功した。
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沖縄戦では、18万人犠牲になり、もたもた、まだ、 決め
られない。
そうして、広島・長崎
原爆が、投下された。
そして、天皇の玉音放送が流れ、8月15日 終戦となった。
この時の、日本は、まるで平時の様に、感覚の愚鈍であ
り、真実を観て、批判する事。これが、最も、重大であった。
戦争関係者の、最後の言葉。
(愛や絆)
8月15日 終戦記念日。
日本は、なぜ、早い時期に、敗戦は、判っていたのに、戦争 を、終わらせられなかったのか?
67年経った今も、歴史が問われている。
今回は、この程度で、
次回に、つづく。