前回記事で「右寄り」についてコメントを頂きました。
これ、確かにわかり辛いですよね。というか、言っている自分自身、何をもってして右を自称しているのか、意外と整理できていないところがあります。「箸が右で茶碗が左」という具合にはなかなか線引きできない価値観ですから、少しやっかいです。
良い機会ですので、現時点での議論のテーブルを少し整理しておきます。記事自体はタブーなテーマではありませんが、タブーを語る上では絶対に欠かせないことです。顔の見えないブログであっても、書いている人間が何を論じているのかはわかり易い方が良いと思いますし、これは書き手の責任でもあります。
ということで、私はどの程度の右寄りで、対する左をどのように考えているのかが、今回のテーマです。あくまで右寄りの私の主張ですから、平等中立な内容ではありません。根拠があることも無いこともありますので、資料や文献など引用せずにあえて私の主張だけを並べます。「右と左」ではなく、「右とそれ以外」というのが正確かも知れません。
また文中では、自分の中である程度の普遍性を担保するために、極論やデフォルメして述べている個所があります。加えて、出来る限り端的でわかり易い内容にするため、予告無く用語をWikipedia記事にリンクさせています。ただし、そこから引用しているわけではない点をご承知ください。
【主義・思想の違い】
一般に、古き良き伝統を維持していくことを「保守」と言います。反対に、古びた伝統を打ち破り新しいものを築くことを「革新」と言います。この呼び方を変えて、保守的な人を「右翼・右派」と呼び、革新的な人を「左翼・左派」と呼びます。そして両者に中立または折衷する立場を、「中道」と呼びます。
しかし、少し考えれば誰でもわかりますが、この線引きは非常に難しいです。何を伝統と位置づけ、どこからを革新と定義づけるのかは、時代や価値観によっても様々ですし、人によって認識が異なります。つまり、右翼と左翼は厳密に言えば定義することはできません。しばしば、相手にレッテルを貼るための批判的な言葉として使われることの方が多いです。最も寄っている対極の立場に対して「極右・極左」とも呼ぶ場合などは、その最たるケースです。
右翼←中道→左翼
保守←中道→革新
こんなイメージをして頂ければわかりやすいです。
【政治思想と支持政党】
東西冷戦は、民主主義と社会主義というイデオロギーの対立でした。戦後日本の国体は西側、つまりアメリカを中心とする民主主義に長らく属してきました。当時は、自民党を支持政党とした民主主義者が、保守であり右翼でした。
しかし、ソ連崩壊とともに社会主義は敗北しましたので、日本では社会党も消滅しました。ただし、社民党や共産党は今でも存続していますし、この国から社会主義者がいなくなったわけではありません。
それでも現代へと目を向ければ、民主主義を否定する勢力はほぼ沈黙してしまいました。対極に位置する戦前の帝国主義、軍国主義を主張する勢力もまた同様です。そういう意味では、現代の政治思想はかつてのそれよりも全体的に中道寄りなため、支持政党だけで右か左かを判断するのはかなり困難です。
私が国政政党を順に並べるとすれば、右寄りの順に、たちあがれ日本、日本維新の会、自民党です。最左翼は社民党と共産党で、次いで民主党といったところです。
【経済思想】
政治思想と同じく、アメリカを中心とする「資本主義・市場経済」を支持するのが右翼です。反対の左翼は「共産主義・計画経済」を支持します。
ただし、小泉政権以降の新自由主義(経済活動を全く規制せず自由にする)については別の議論が必要です。TPPについて自民党内が割れているように、右翼の主張も分かれます。それは、自由による経済成長を信奉する人と、リーマンショックや格差社会の拡大を自由経済の敗北と捉える人がいるためです。つまり、右翼の中でも現在の自由経済のあり方には異を唱える人がいるということです。私自身は後者に同感です。
一方の左翼は、かつてその思想をソ連が牽引し、ソ連崩壊後は中国が事実上のリーダーを担っています。ただし、鄧小平以降の改革開放政策は共産主義+市場経済という側面もあるため、かつての左翼とは大きく異なります。さらに左翼の中にも新自由主義を崇拝する人は多くいますので、線引きはかなり複雑です。
【経営者と労働者】
「資本主義・市場経済」という価値においては、経営者は当然ながら経済優先ですから右寄りです。よって対立する労働者は生活を優先する左寄りの思想を持つことになります。
戦後GHQはアメリカ型自由経済を推し進める一方で、財閥を解体するなどして、帝国主義者達の駆逐に努めました。そして、その過程では左翼勢力を支援する手法も用いられました。当時の左翼は、日本を共産化したい東側勢力からも同時に支援を受けられましたので、非常に強い力を有していた時代でもありました。今日の日本の労働組合が強いことには、そうした経緯があります。
【ビジネスと社会インフラ】
社会の中核的な業種や職種、団体の中には左寄りの組織も少なくありません。経団連や日本医師会は右寄りですが、日弁連や日教組、労組は左寄りです。また、農業や製造業などの伝統的産業が一般に右寄りであるのに対して、流通業やサービス業などの新しい産業は左寄りです。
戦後GHQは教員や裁判官などの公務員や、企業経営者など社会的地位の高い人々を公職追放し、それまでの右翼的思想の持ち主をことごとく排除しました。そして後任の椅子には、左翼的思想の持ち主が多く座ったのです。例えば教育分野では、左翼活動勢力の思想を育てた大学や教師達自身が、60年安保闘争から始まる一連の学生運動において、自らの教え子に苦しめられる事態ともなりました。
当時の若者にとって、社会主義や共産主義は今では考えられないほど魅力的な思想でした。彼らにとってそれは、閉塞した日本社会の理想形だったようです。その思想は途切れることなく、現在の社会の上層で脈々と生き続けています。団塊の世代の周辺で社会的地位の高い人には、今でも左翼の人が少なくありません。
【マスメディアとエリート】
学者や教師だけでなく、マスメディアで働く人々も元々左寄りの思想を持っています。それは前述の公職追放や学生運動によるものだけでなく、教育とメディアが性質上、現政権体制や政治勢力に対して警鐘を鳴らす役割を担っているからです。極端に言えば、革命家を育てる宿命を負っているということです。「エリート意識」と呼んでも良いかも知れません。
5大紙と言われる全国紙の報道姿勢を右から順に並べてみましょう。さらに系列の在京テレビキー局も並べてみると、新聞の順序とは少しズレもあることがわかります。
右←産経・日経・読売・毎日・朝日→左
右←テレ東・フジ・日テレ・テレ朝・TBS→左
私はこの中で、産経新聞とテレビ東京が好きです。
【宗教・天皇・国教】
宗教全体を右から並べれば最右翼は神道であり、次いで仏教です。個別の宗教はさすがに名指しできませんが、これらに対して新宗教は左寄りの立場であることが多いです。
呼称が正しいかどうかはともかく、教科書に「人間宣言」というのがあります。帝国憲法下では神であった天皇を、現行憲法では国の象徴としたわけです。最近の改憲論では様々な主張がされていますが、現状維持を中道とすると次のようになります。
「天皇陛下を現人神(あらひとがみ)とし、国家神道の神として奉る」のが最右翼でしょう。次に、自民党第二次安倍政権が主張するところの、「国家元首として規定する」というのが続きます。対する最左翼とは、天皇制の廃止です。つまり、天皇は本当の意味で「人」になるということです。
ところで、現行憲法は宗教の自由を保障していますが、他国では国教が定められているケースが少なくありません。日本では国旗国歌法が規定する、日の丸と君が代の問題が時々話題になりますが、本来は国教と3つセットで論じられるべきだという右の一部主張もあります。国家神道を国教として規定するというのが最右翼で、最左翼は靖国神社の解体でしょうか。
【皇統問題】
秋篠宮殿下に悠仁親王殿下がご誕生される前、男子が生まれなかった場合の皇位継承について議論が湧きました。そもそも、皇太子殿下または秋篠宮殿下は天皇陛下の男子ですので、いずれかに男子がお生まれになれば問題はありません。男子の男子(直系男系男子)へと皇位が継承されるからです。しかし、もしも男子が生まれなかった場合は、どこまで容認するかということになります。
その論点は主に、女性天皇についてと、男系か女系か、直系か傍系かという3つです。つまり、女性天皇を認めるかどうか。あるいは、女性皇族の男子(女系)を認めるか。そして、天皇の子(直系)だけでなく甥(傍系)までも認めるかという議論です。
最右翼は、これらいずれの選択肢も認めません。代案を容認すればするほど左翼であり、天皇制を貶めていると主張します。
【戦争史観と対米感情】
支那事変を日中戦争、大東亜戦争を太平洋戦争と呼び換えたのは左翼であり、右翼は元の呼称を用います。戦後GHQは、第二次大戦は日本が引き起こしたものとしました。アジア諸国を苦しめ、中韓が主張する南京大虐殺や従軍慰安婦問題を日本が起こした蛮行だと言います。左翼はそれを踏襲して謝罪をしろと言います。
対する右翼は、大戦を引き起こしたのは欧米列強からの圧力による必然であり、日本によるアジアへの侵攻や占領統治は、欧米のそれよりもずっと平和的であったと言います。
参考:過去記事「親日国よせ集め(東南アジア地域)」のシリーズに詳しい。
私自身はやや右寄りの立場です。日本兵の四肢を生きたまま切り落としたり眼球をくり貫いたりして、将兵の頭骨や日本刀を戦利品として持ち帰ったアメリカの言い分を、そのまま受け止めるつもりはありません。ましてや、原爆を落として民間人を大量虐殺し、それを誇りだすらと考える国ですから、議論の余地もありません。ただし、どこかの国のように今さら「謝罪しろ!補償しろ!」とまでは言いませんけど。
【外交問題】
国際政治を勉強すればわかるのですが、外交の手段にはアメとムチの2つしかありません。すなわち、軍事力や経済力で圧力を掛けるか、支援や援助を与えるかのいずれかです。日本はODA等によって既に世界最大の海外援助国ですから、あとは軍事力を強化して圧力を掛けるべきというのが、右翼です。
それに対して左翼は、対話と一層のアメが重要であると考えています。左翼は平和を強調し、右翼はそれを外交ではないと否定します。「日本列島は日本人だけのものじゃない」と首相が発言する民主党が、外国人参政権を執拗に求めるところなどは非常に象徴的です。
私は、安全保障だけでなく食糧自給と資源自給ができない以上、外交にはムチも必要だと思っています。また、ODA等の援助先についても精査し、選択と集中をすべきだと思います。少なくとも反日国は除外し、親日国を支援するほうが自然です。
【安全保障と核武装】
自国の軍事力を増強して安全保障を独自で確保しようというのが右翼です。それに対して、憲法9条通り軍事力を削減、さらには放棄しようというのが左翼です。ただし、核武装論については右翼も推進派と慎重派に分かれます。
さらにここへ、アメリカとの関係を加えると、問題は一層複雑になります。戦前の価値観に保守的な右翼は「反米右翼」ですが、戦後の価値観に保守的な右翼は「親米右翼」です。一方の左翼の一部にも、戦後にアメリカの支援を受けて日本帝国主義を排した歴史がありますので、「親米左翼」というカテゴリーがあります。さらに、共産主義者や親中派は「反米左翼」です。難しいですね。
ちなみに私は反米右翼です。直ちに核武装をすべきとまでは考えませんが、議論は必要だと思っています。アメリカが日本を守ってくれるとは考えていませんし、局地戦的テロリズムに対抗する上でも、今の核の傘は穴だらけだと思っています。平和を願う事と核武装をすることも、私の中では全く矛盾しません。これはいずれかの機会に述べられると良いのですが。
以上のような主張は、政治経済あるいは国際情勢によっても日々刻々と変化しますし、私の中で必ずしも普遍的なものではありません。
右を称している動機だって、深い見識と思慮に基づくものばかりではないのです。これを読んだその道の専門家から言わせれば、「お前なんて右翼じゃない」という意見もあるはずですし、「そんな程度の知識か」と叱られることもあるでしょう。そんなもんです。
子供の頃は戦闘機のプラモデルやモデルガンが大好きでしたし、昨年の自衛隊総合演習も見に行きました。過去を紐解けば、父方の一番上の叔父は戦争で亡くなっていますし、二番目の叔父は自民党の地方大物議員でした。
しかし一方では、母方の祖父は熱狂的な共産主義者でした。私の叔母婿は日教組ですので、婿入りの際は双方の身内から大歓迎されたそうです。高校2年の修学旅行先だった長崎で被爆者体験談を聞いた時、嗚咽を漏らして泣いていたのはクラスで私一人です。戦争なんて絶対にあってはいけないと今でも思っています。
でも、その程度の系譜と主張ならばこの国の至る所にありふれていますよね。本を読めば、自分の価値観が少し変わることだってあります。右と左のどちら側につくか、選択の契機は日常にあふれていると思います。しかし、だからと言って「中道」を自称し無難に生きて行こうとは思いません。他人に価値観を押し付けることはしたくありませんが、右翼を称することを止めようとも思いません。議論しないことで若者の未来が切り開けるとは、到底思えないからです。
昨今の出来事で言えば、私自身が民主党政権以降のあまりの左寄りに辟易したことは確かですが、その反発としてネット右翼の言論が歯止めを知らないことについても懸念をしています。何かひとつの決定的出来事によって私の主義主張が作られたわけでもないし、断固として右の立場を固執するつもりもありません。そういう意味で、まずは飲み屋の話題にこのネタを持ち出すというのが、私の一貫した立場です。
喧嘩になりそうなことも稀にありますが、この話題についてきてくれる若者が増えてくるまで、しばらくは続けるつもりです。これからも大いに議論し、若者に託せる未来を大いに考えていきたいです。
今回も最後まで読んで下さりありがとうございました。
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