1945年8月。米国は日本に対して2発の原子爆弾を投下するという歴史的大虐殺を行いました。8月6日に広島、同9日に長崎。それぞれ推定10万人以上の一般市民が虐殺され、日本は8月15日に敗北しました。以来、この夏の出来事は私達日本人の魂に深く刻まれ、決して忘れることのできない記憶となりました。
【原爆という悲劇】
子供の頃、私は、戦争とは『はだしのゲン』だと思っていました。日教組だった叔父の家にはビデオが常備されていましたから、小学生の頃には従姉妹達と一緒に何度となく見たものです。
何の前触れも無く生きたまま放射線に焼かれた人。溶け落ちた皮膚を引きずり歩く人の群れ。生き残った人々には追い打ちをかけるように、死の灰を含んだ黒い雨が頭上に降り注ぎました。
当時の私達は、一種のホラーアニメを見ているような感覚でしたが、それがつまり叔父の平和教育だったのかも知れません。戦争の悲惨さ、恐怖を教えていたんでしょうね。
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【被爆者体験談の記憶】
高校2年の夏に参加した九州一周の修学旅行は、私にとって人生の価値観を大きく変える機会でもありました。長崎で、被爆者の体験談を聞かせてもらったのです。
ググってみたら、当時聞かせて頂いたご本人を見つけました。お名前もすっかり忘れてしまっていましたが、今も尚、体験談の活動を続けておられたようです。長崎市のwebサイトに掲載されていた記事より、一部掲載します。
(長崎市被爆者体験講話「十一時二分の碑」より引用)
和田さんは当時十八歳、長崎市立第二商業学校の学生で、学徒動員で市内電車の運転手として勤務中、爆心地より3km地点で被爆しました。建造物の下敷きとなりましたが、外傷はありませんでした。その後、十四日まで識別困難な爆死した同僚の荼毘等救護活動に携わりました。
(引用ここまで)
確か、夕食後の旅館に和田さんがお越しになり、大広間で私達へ向かって、1時間以上に渡って被爆体験を語ってくれました。概要は先のリンク先にあります。
私は恐らく、終始身を震わせながら聴いていたと思います。聴けば聴くほど、考えられないくらい悲惨で残酷で、言葉にすることも不可能なくらいの、地獄のような光景が語られていきました。とにかく悲しい。
しかし何よりも、それを訥々と語り続ける和田さんの心中を想像すると、私はとても顔を上げることができませんでした。
「きっとこの人はこんな話をしたいはずがない。忘れたいはずだよ。でも俺達みたいなガキに対して真剣に語ってくれてる。多分、心を振り絞って、身を削って魂を削って語ってくれてる。
それに対して俺達は何なの?修学旅行で観光に来て浮かれてるだけじゃん。この人の話を聞く資格なんてないだろ?この人に俺は何と応えれば良いんだろ?とても貴重な人生の一部を、俺達みたいなクソガキに対して使ってくれてる。だから無駄にしちゃダメな気がする。どうすれば良いんだろ・・・。」
こんなことをずっと葛藤しながら聴いていました。
当時、本当にクソガキだったんです。私もクラスメイトも。まだ幼かった。でも、そんな私にすら、和田さんの言葉は深く深く突き刺さりました。
【被爆者はなぜ語るのか】
話し終えた和田さんが「質問のある方は?」と言った時、私はどうしても手を挙げずに居られませんでした。ひと言も応えずにこの人を帰してはいけない。なぜかそんな気持ちになったんです。でも手を挙げて指されても、言葉は出ませんでした。反対に、大量の涙が出ました。嗚咽を漏らして同級生の前で泣いたことなど、これが初めてでした。
「落ち着いてください。ゆっくりで良いですからね。」
と掛けて頂いた言葉でやっと冷静になり、言葉を絞り出して、こう質問したんです。
・・・なぜ、今になって私達にこの話をしてくれるんですか?
「私には、目に見える傷や後遺症はありませんでした。しかし体の中に放射能は間違いなく残りました。自分にも子孫にも、癌や奇形が出てしまう可能性は、ずっと消えることがありません。被爆者は差別され、その子供たちはいじめられました。街に住み続けることが出来なくなった人や、結婚さえできない人も大勢いました。だから私が被ばくした事は、家族や妻にさえ決して明かしませんでした。
また幸いにして、子供達にも障害などはなく、皆が健康で孫にも恵まれました。しかし30年が経ったある日、娘が生んだ孫を病院で抱いた時、思わず涙が出たんです。
あの日、焼け野原になった街角で、私は一抱えくらいの大きさの真っ黒な炭の塊を見つけました。何だろうと思って近づいて抱き上げてみると、それは黒こげになった赤ん坊だったんです。腕から零れ落ちてしまいそうな、生まれたばかりの孫娘を抱いた瞬間、あの日に亡くなった赤ん坊の姿が重なったんです。
私は家族に全てを打ち明けました。しばらくの後、自分の被爆体験を語る仕事をすることを伝え、家族皆もそれを了解してくれました。だから今、こうして皆さん若い方に話をするようになったのです。あなたのような方に原爆の記憶を残すことが、今の私にできる使命だと思っています。」
【失われつつある戦争の記憶】
間も無く戦後70年が経とうとしています。当時の記憶を語れる人は皆高齢で、こうした話を聞くチャンスはもう僅かです。それだけに、当時の私にとっては本当に意義のある機会を頂きました。
長崎と広島だけでなく、東京大空襲や沖縄決戦。集団疎開、飢えと貧しさ。学徒隊、挺身隊、集団自決。戦艦大和に神風特攻隊。天皇、靖国。どれも忘れてはならない記憶ばかりですが、残念ながらどれも断片的な歴史でもあります。だからこそ、ひとりの日本人として、ひとりの大人として、次の世代のためにこれらを紐解き、整理して記録し伝えていく必要があります。
とりわけ私は海の向こう、すなわち本土以外の出来事については、まだまだ勉強しなければという思いを抱きます。支那・満州、樺太・北方領土、朝鮮、台湾、東南アジア、南太平洋で何があったのか。『はだしのゲン』は、戦争末期の本土の歴史とても象徴的に伝えていますが、一方で大東亜戦争はハワイから始まりました。ミッドウェー、ガダルカナル、ニューギニア、硫黄島など、私も知らない歴史の真実が埋もれています。多くの青年が悲惨な状況下で命を落とし、消えていきました。しかしその事実を、私達日本人の多くがまだまだ知りません。
【永遠のゼロ】
今年の12月、300万部を売り上げ本屋大賞にも選ばれた『永遠の0』という本が、大ヒットのお陰あってやっと映画化されます。絶対に見に行くつもりです。
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(Amazon『永遠の0』内容紹介より引用)
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、1つの謎が浮かんでくるーー。記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。
(引用ここまで)
太平洋の上で何があったのか。それをミステリー調に書いた面白いフィクションなのですが、一方でこの本を実際に読んだ戦争経験者の中には、こういう事実が確かにあったというような話が聞かれるそうです。興味深いですね。最後に映画サイトのリンクを掲載しておきます。
参考:映画『永遠の0』webサイト
『はだしのゲン』は日教組を中心とした自虐的平和教育の象徴として、しばしば右寄りの人々から非難されますが、私はそんなに悪いものだとは思いません。でも、そっちを見るならこっちも見た方が良い。本土の被害も、太平洋での戦いもです。
日本人にとって特別な8月です。平和な日本の礎を築くために散った全ての先祖英霊に心から感謝し、また戦争で亡くなった全ての方々に謹んで追悼を捧げます。
ちょっと宣伝臭くなってしまいましたが、今回も最後まで読んで下さりありがとうございました。
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