アナ:「日本武道館までの長く険しい道のりを、一歩一歩と走っております!」
おれ:「うん、1,000万円でしょ。100m歩くごとに11,000円なら骨折しててもやるだろ。」
熊田:「清純派のイメージを壊さないで!」
有吉:「水着来てテレビ出てるやつが清純なわけねーだろバーカ!」
みの:「一体政治家は何をやってるんですかね?」
おれ:「お前がバラ撒くデマ情報の火消しに追われてるんだと思うよ。」
うの:「シンガポール航空のこの路線は私も乗りましたけど、片道○○○万円ですよ。」
うちの妻:「へー。最近のセレブは片道運賃を暗記したりすんのね。へーw」
アキ子:「お前、誰にモノ言ってんだよ?」
おれ:「その前にお前は歌が売れるように練習しろ。あと酒控えろ。」
「テレビと会話する」という話を耳にすることがありますが、実は私も昔からその口です。実際に巷で流行しているかどうかは怪しいですが、私の中では標準の視聴スタイルになってしまいました。たまにテレビを点けると、条件反射的にツッコミを入れてしまうことが茶飯事です。
でも最近は、ツッコミの大抵は文句と難癖です。せっかく見てやっているのにこんな体(てい)かよと、上から目線で。
でもそんな私の独り言が耳障りなのでしょう。
「そんなに嫌なら見なけりゃいいでしょ」
と妻。確かにもっともです。だから私は最近、テレビをあまり見ません。と言うかそもそも、こんなことを画面に愚痴った所で何ひとつ変わらないってことくらい、わかりそうなもんですが。
【バカッタ―のクレーム拡散】
恥ずかしながら、実は私、ツイッターが苦手です。ツイッターは、使う側に高度な知性とモラルを要求する反面、それが欠けているほどに拡散するという大きな矛盾を孕んだ仕組みだからです。これが欠陥と言えるものかはわかりませんが、私など自制心の乏しい者にとっては、脳内で盛り上がった挙句に不適切な投稿をしてしまうのが目に見えています。最近では「バカッター」と揶揄する声も聴かれますが、その批判も遠からずでしょう。
参考:ネット用語辞典ネット王子「バカッター」
さて、これは今も続いているかはわかりませんが、朝のワイドショー番組で、画面の片隅に流れるツイートを、皆さんは見たことがあるでしょうか。しかも大多数が文句ばかりで、そのうちの数%はテレビ内容とも合致していなかったりします。私と同じようなクレーマーが、独り言ではなくテレビ画面にツイートするんですから、もう驚きです。
これ、一見「ニコニコ動画を真似た」だけのようにも思えますが、実際は少し違います。ツイッターはニコ動やLINEと違って、拡散するのです。そうなると、当該番組を見ていない不特定多数もツイートを目にする訳で、誰かの誤解や悪意に気付かず真に受ける人もいるでしょう。理ツイートすれば誤報も拡散します。って、これではニュース報道している意味が無いですよね。
制作サイドはそんな簡単なことに気づかないのか、あるいは話題性だけを優先したいのでしょうか。テレビの前ではクレーム言いたい放題の私でも、これには少々理解に苦しみます。
彼らがどうしてここまでクレームをツイートしたいのか、調べていくとそのメカニズムはちょっと難しいものでした。そしてそこには、社会が今どんどんクレーマーを生み続けているという、深い深い問題も潜んでいます。
【患者さまはお客さま】
例えば病院でのケースを挙げてみましょう。
最近、「患者さまはお客さまです。」というポスターを院内に掲示し、社内研修でもホスピタリティ指導に力を入れる病院が増えています。病院も寡頭競争の時代ですし、顧客満足を追求したい気持ちもよくわかります。
一方、患者が病院へ文句を言う動機は、多くの場合、サービス向上への期待です。期待できなくなれば他の病院へ移るだけですから、クレームはある意味で期待の裏返しとも言えます。
これらを経営学の視点で整理すれば、顧客はサービスを期待し、企業はクレームを糧に改善をするのです。まず、このメカニズムを覚えておいてください。
ただし問題もあります。少し前に「もしドラ」で再び脚光を浴びることになった経営学の基本教科書、P・ドラッガー著『マネジメント』には、公共機関(文中では行政と表現だったと思いますが)のマネジメントで顧客満足が重要であるなどとは書いてありません。「業績評価が必要だ」と書いてあるのです。つまり医療機関において重要なのは満足ではなく「治療」です。当たり前のことですね。
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら/ダイヤモンド社

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【顧客満足の追求はクレームとの戦いである】
皆さんは、患者を「お客さま」扱いすることで、一体何が変わると思いますか。患者が増える?満足が向上する?売上増加?
いいえ、違います。クレームが増えたんです。
ドラッガーの教えを無視して医療機関が顧客満足を追求した結果、医療現場は極めて深刻な問題を抱えるようになりました。医師も看護師も相応に対応せざるを得ませんから、医療とは無関係のコストやストレスは増大します。外来患者が待ち時間に我慢できず、入院患者は食事の味にもケチを付け始めるでしょう。接客品質向上とクレーム対処に疲弊した看護師や技師達は、どんどん転職を繰り返し、医療の品質そのものを低下させています。これは現在、多くの病院が直面している現実の問題です。
顧客満足の追求とは本来、クレームとの戦いです。極端に言えば、いかに顧客からクレームを引き出すかが重要なのです。クレームを言ってもらえない企業は改善の契機を得ることができませんので、粗品を付けてでも「お客さまアンケート」に注力します。それだけに、医療機関がクレームに迎合すればどうなるか、もう想像に難しくないでしょう。
ところこの話、過去記事でもご紹介した以下の書籍がネタ元です。著者の内田樹は元大学教授ですが、病院や学校で起こった実際のケースを基にして、クレームのメカニズムを詳しく論証しています。
街場のメディア論 (光文社新書)/光文社

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【メディアがクレーマーを生む】
世の中でクレームが増えたのは、もちろん個人主義が広まったからだと思います。しかしその前に、クレーマー文化を広めた張本人がいます。マスメディアです。
マスメディアと言うのは本来、社会的弱者やマイノリティーを守る使命を帯びています。すなわち官は敵、資本は敵、時には自分の国家さえ敵です。
しかしこれを免罪符にして、兎にも角にも文句をつける。時にはそれが言論の暴力を超えて、対象への攻撃を扇動する役割までも担っていきます。市民や他の報道機関をも巻き込んだ一大キャンペーンを張り、私達を誤った方向へと導くのです。これこそがメディア自身が生んだクレーマー文化です。
例えば、2005年、大阪府寝屋川市の小学校にいじめを恨んだ17歳の卒業生が乱入、男性教諭1名を刺殺し、女性教諭と女性栄養士の2名が重傷を負った事件がありました。前出の著者である内田は、この事件報道について次のように述べています。
参考:Wikipedia記事「寝屋川市立中央小学校」
(以下、『街場のメディア論』より引用)
事件後に開かれた緊急保護者集会から出てきた保護者に取材したある記者はその様子をこう伝えました。
「市教委や学校からは事件を防げなかったことへの謝罪はなく、保護者らは終了後、怒りと不信感をぶつけた。(・・・・・)集会後、ある父親は『学校も教育委員会も一言も謝罪しない。悪いのは犯人だが、管理責任だってある。腹が立つ』と話した。」
この報道のしかたはおかしいと僕は思いました。仮にも教職員が身を挺して子どもを守り、ひとりが死んで、ふたりが重傷を負ったのです。そのおかげで子どもたちにはけが人が出なかった。その事件の直後に保護者が口にすべき言葉ではないでしょう。
(引用ここまで)
これに先立つ2001年、同じく大阪の附属池田小事件に男が押し入り、児童8名が殺害、児童13名と教師2名が重軽傷を負うという凄惨な事件がありました。宅間守という名前なら記憶に新しいかと思います。記者は恐らく、この事件の教訓が生かされていないと追求したいのでしょうが、それにしても理不尽ではありませんか。売れる記事を書くための方法論にせよ、決して容認できるものではありません。
【市民のクレーマー化】
さらに恐ろしいのは、こうしたケチをつける行動規範、つまりクレームが、私達の行動にも多大な影響を及ぼしていることです。クレーマー文化は今、社会へと急速に浸透しています。
例えば、クラスの女子全員がシンデレラ役だとか、徒競走は全員が手を繋いでゴールするとか言った話を耳にしますが、こうしたいわゆるモンスターペアレンツ現象の根も、実はここにあります。
参考:livedoorNEWS(2012年03月22日)「全員シンデレラ!?が当たり前に…マツコ「親は身の程を知れ」」
親達は、シンデレラ役を演じられない我が子だけが「損をする」と考えます。しかし、個人がその小さな損を分担することによってのみ、本来の「シンデレラ」は完成します。つまりは、結果として全員が大きな得を得る訳です。反対に、それを理解せず「損」ばかりを強調するならば、「シンデレラ」に似た学芸会はできても、本当の果実は永遠に手にすることができません。
こうした親達は、今日の学校教育崩壊を導く共同正犯でもあります。(それを聞いてしまう先生も共同正犯ですから。)先の内田は元大学教授なのですが、こんなエピソードも綴っています。
「うちの子の単位、何とかなりませんか?」
最近は、講義や課題をサボった学生の親までもが、大学教授に平然と陳情やクレームを言う時代です。確かに、何とかしてあげれば一見、その学生は損をせずに済むでしょう。しかしそれを繰り返すから、大学教育の質はどんどん低下し、大学の名声までもが失墜します。結果として、○○大学中退という学歴も、かつては大学のネームバリューだけで自慢できた時代もありましたが、今では努力して卒業できた学生さえも、その能力が疑われてしまう時代です。
この親達は、我が子が正当に単位を落とすことによって、その大学の価値を保てるという「得」には目が向かないようです。
【クレーマーのジレンマ】
これと似たようなことは、過去にも道徳や幸福論などのテーマで何度か触れてきました。皆が駆け込み乗車をすれば、電車は時間通りに発車できないどころか、人身事故を引き起こす可能性もあります。誰もが脱税すれば、ギリシャのようにやがて国家財政を危うくします。
実はこの現象、経済学のゲーム理論の概念のひとつ、「囚人のジレンマ」という理論そのものです。これによれば、個々人が自分の利益を最大化するように行動すると、集団の利益は決して実現されることはありません。誕生して既に60年以上経つ理論ですが、予防措置は未だ見つかっていないのです。
ちなみにこの理論、少し難しい謎解きみたいなものですが、ご興味のある方は以下の解説サイトをどうぞ。
参考:サイコム・ブレインズ㈱「ゲーム理論[3] 囚人のジレンマ」
要するに、誰かがクレームを言って得をするという発想は、実は両刃の剣なのです。過度なクレームを聞き入れてしまえば事態は改善どころか悪化します。それは、クレームを言う側にとっても聞く側にとっても同じことです。「言った者勝ち」とか「言い得」というような発想は、実際には損をする可能性に目を向けていないことなのです。
「言い得」は時に「言い毒」。だからクレームを言うときは覚悟しましょう。
って、テレビを点ければケチをつけ、ニュースを見れば裏を探りタブーを暴きたい私が言う話ではないんでしょうけれど・・・。
あまり上手にオチませんでしたが、最後までお付き合い下さりありがとうございました。
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