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この国のタブー

素人がタブーに挑戦します。
素人だけに、それみんな知ってるよ?ってこともあるかもしれませんが。
コメント、質問、大歓迎です。お手やわらかにお願いします。

普段ならば、土日は朝に投稿することが多いのですが、今回は短いながらも、休日の朝に読んで頂くような話題でもないため、敢えて夜中に投稿します。もしメール通知設定の読者の方がいたとすれば、何卒ご容赦ください。



「家族を傷つける病気」。
これは以前に書いた記事のコメント欄で使った言葉です。頂戴したコメントへの回答でふと用いたのですが、思いも寄らぬ反響を頂きました。
 参考:過去記事「統合失調症と生きていく(2)」

確かにこの言葉、一見すると読み飛ばしてしまうようにも見えて、しかし読み手によっては刺激的な表現であることも事実です。実は、病気のタブーに関するシリーズを書く度、いつも文末に使おうかと悩んでは、結局のところ封印してきた言葉でもあります。万が一、他人を傷つけてしまうかも知ないとの予感もありましたから。
しかし今回、良い機会だと思って投稿することにしました。



さて、これは過去記事に詳しいですが、私の母は、私が物心ついた頃から長らく統合失調症障害を抱えていました。それは2年前に母が逝くまでずっと続きました。またこれと前後して父が亡くなりましたが、祖母はそのショックからアルツハイマーを発しました。考えてみれば、随分と長い間、病と生きてきたのだと思います。
そうした事情を知る近所の方々は、子供の頃から私を「偉いね」と誉めたり、「頑張りなさいよ」と励ましたりしてくれました。そういう部分では、田舎ならではのお節介が残っていたんだと思います。有り難いことです。

ところがそうした励ましは、時に大きな重圧へと変わってしまうこともあります。闘病生活が苦しい時期、励ましの言葉は、「偉くいなければならない」、「頑張らなきゃいけない」という強迫的な自己暗示へと代わることもあるのです。
私と似たような話は、重病を患った家族を抱えた闘病記にも必ずと言って良いほど登場します。何も精神疾患に限りません。私達の誰しもが身近な、癌、脳卒中、アルツハイマーなども同様です。裏を返せば、多くの家族が同じような重圧を背負っているということです。


近頃は「癌は治る病気」と言いますが、恐らくその通りでしょう。今や、急性心筋梗塞も70%が生還しますし、急性脳梗塞などは85%も助かる病気です。今や生活習慣病は、厚生省のCMや健康ブームが抱かせるイメージとは違い、死ぬ病気とは言えません。しかし不幸なことに、どちらの病気も後遺症を抱えるケースが少なくないのです。

糖尿病も、やはりこれらと同じです。本来、悪化すると視力や手足を失ってしまうほどに過酷な病ですが、人工透析技術の発展により昔よりは遥かに長生きできるようになりました。私の義理の父もまさに糖尿病を抱えていますが、彼は脳梗塞で倒れる度、主治医からこう説教されるのです。

「○○さん、不摂生を続けてポックリ死ねばいいやって思ってるんだろうけど、甘いよ。今は救急車がすぐ来る時代だから、9割が死ねないで寝たきりになるんだよ。覚悟しなさいよ。」

死ねないし、死なない。だから家族も大変です。「死のタブー」でもずっと書いていますが、これが現代社会の真実です。良し悪しは人それぞれの価値観でしょうが、これら病気が家族も傷付けることは疑いようもありません。しかしなぜかこの国は、それをタブーにしてしまいます。私のような言い様も、ひょっとすると暴論とか誹謗に分類されてしまうかも知れませんね。



ところでつい先日、有名な歌手が私と似たような境遇で母親の最後を迎えたというニュースが流れました。これについては、心理カウンセラーの書いたある記事が目に止まりました。

記事を書いた方は、母を支え続け、母に縛られ続けた娘が、母の死によって呪縛から解放されないかも知れない可能性を指摘しています。それは、母の自殺が契機となって、「哀れな母を助けられなかった私」「“私のために”尽くしてくれた母なのに」という罪悪感を生むからだと。
 参考:日経BPウーマンオンライン(2013年9月2日)「・・・・「母娘関係」の罠」
    ※リンク先の記事タイトルにある歌手個人名は作者が伏せました。

私は正直、この手の心理学は普段あまり信用しません。ましてやニュースに出るカウンセラーなんてとも思ってしまうのですが、この記事に限っては一理あるなと感じました。これまでの過去記事とも合致するだけでなく、もし経験則で語ることが許されるならば、私には罪悪感を抱かない人の方が少ないくらいに思えるのです。
 参考:過去記事「死とは忌むべきものか(3)」


もっとも、家族を傷付けるのは病気であって、病人ではありません。それは純然たる事実です。しかし、病人の心情に配慮するあまり、私はどうもこの国が、看病する家族への配慮に欠けているような気がします。だから敢えてタブーを恐れずに書きます。多くの病気は「家族を傷つける病気」だと。

現代社会はともすれば、病人を世話するのは家族の責任とか、看病することは偉いとか立派だとか言いますが、当の家族自身はそんなこと意識しません。いや、もっと言えば病人だって、本来そんなことは感謝こそすれ、期待するような話ではありません。お互いを愛するからこそ苦労を分かつのだし、袖刷り合うのが何かの縁だからと看病し、それを受け入れるのです。

「家族で力を合わせて闘病」と聞けば一見、美談に思えますよね。しかし現実には、看病する側だって疲弊するし、逃げ出すことだって普通にあります。中には懸命になる余り、一緒に病んでしまうことだってあるのです。大変なプレッシャーに晒され続けるし、看病と重圧の2重のストレスを抱え続けます。となれば、たとえ看病をサボる家族が居たとしても、それは他人がとやかく言う話ではないはずです。にもかかわらず、です。

恐らくもうこれは、正しいとか正しくないとかではありません。看病の現実は、正義では解決しない問題なのです。私達はそれを忘れています。



冒頭、この内容を書くことを悩んだと述べましたが、それはこのテーマが「死のタブー」と密接に関連するためです。人間の根源にかかわる真理だからです。
 参考:テーマ「死のタブー」


人が生まれた瞬間に、唯一決定していること。
それは「いつか死ぬ」という避けがたい事実だけです。

人間は、病と死からは決して逃がれることはできません。だからこそ、私達はこのテーマを冷静に受け止めなければならないし、不幸だ不幸だと感情論で安易に片づけてはならないと思うのです。そしてこれは、病人にも看病する人にも、誰かを失った人にも、やがて死ぬ全ての人にも言えることではないでしょうか。
病は死と同じように誰にでも起こります。もし病が不幸ならば、家族も同じだけ不幸です。病人だけが不幸で、家族が不幸でないフリをするなんて歪です。愛や縁を少しでも感じるならば、お互いが襟を正して向き合わなければならないことだと思うのですが。


最後に、真夜中にもかかわらず、偉そうなことを並べたてましたが、寛大にお読みいただけたとすれば感謝に堪えません。今回も最後まで読んで下さりありがとうございました。



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