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この国のタブー

素人がタブーに挑戦します。
素人だけに、それみんな知ってるよ?ってこともあるかもしれませんが。
コメント、質問、大歓迎です。お手やわらかにお願いします。

過去、9割方まで書き上げたにもかかわらず、封印した記事がいくつかあります。中にはブログ開設当初のものもありますが、一応消さずに保管しています。例えばそのひとつが、中韓批判です。


常々、私は右寄りな価値観だと書いていますが、真正面から中国や韓国を批判をしたことはありません。いや、読み手によってはそんなことないのかも知れませんが、少なくとも自分の中では抑えているつもりです。
なぜなら、私がひと言叫びたいと思う以上の誹謗中傷がネットに溢れているからです。ニュース報道に苦言を呈するものから、根拠の乏しい都市伝説的な誹謗まで、本当に様々です。中にはこれを昔の文体を使って「○○ハ断固排除スルベシ!」といった、懐古主義を通り越して軍国主義とも言うべきものまで有ります。正直、読んでいて疲れます。

ただ、私の主張は彼らと同じ方向性にあります。中国と韓国、それから何より米国が嫌いです。しかしネットのこうした言論には、私は同意できません。今日はそんな話題に触れようと思います。



【IT革命は何をもたらしたか】

「IT革命」はもはや死語にも等しいですが、新語・流行語大賞に選ばれた2000年頃には、これが農業革命や産業革命に続く第3の革命ともてはやされたものです。でも、翌2001年にはITバブルがはじけてしまったので、夢は直ぐに現実へと引き戻されたというのが正しい理解でしょう。
 参考:Wikipedia記事「情報革命」

私達はIT技術の発展で多くの恩恵を受けています。PCやスマホを持っていない方にとってもそれは同じで、ITは生産を効率化し、流通を早め、サービスを向上し、金融規模を拡大しました。早く・安く・便利にという社会の期待は、もはやIT無くしては実現しません。もしもこの技術が失われてしまえば、国内経済も世界経済もどん底へと急落することでしょう。

しかしその反面、ITは様々な弊害を生み続けています。この20年、その弊害は深刻化の一途をたどっているようにも見えます。ITは職を減らし、世界の金融のコントロールを難しくしてしまいました。もっと大きな観点では、社会モラルの維持を難しくしましたし、またコミュニケーション力や文章力を低下させたとも言われます。これらはどれも、人間が社会生活を営む上での根源ですので、ITはこの土台を揺り動かす技術でもある訳です。

そしてもうひとつ。私が最近、特に着目しているのが、「ITゴミ」です。



【IT技術がもたらしたゴミ】

恐らく世界で最初のITゴミは紙でしょう。世にPCが急速に普及し始めた90年代、ITはペーパーレス化をもたらすと言われていましたが、実際はそうでもありません。
複合コピー機などで使われる「PPC用紙」の生産量は、97年頃まで増加の一途であり、以降はほぼ80万tを前後しています。05~08年頃にかけては再び上昇傾向となり、ピーク時は100万tの大台に迫りつつも、09年にはリーマンショックで下落。以降、現在まで概ね80万tと横ばいで推移しています。この水準は89年の2倍です。つまりゴミは増えはしたものの、今のところ減ってはいないようです。
 参考:経済産業省「統計表一覧(経済産業省生産動態統計)」

しかし、ある意味でこれは避けることができません。言わばITと現実の狭間で生み出されるものですから。私がもっと深刻に感じるのは、サイバー空間だけに存在する情報ゴミです。

twitterやFacebook、Youtubeの動画もそうですし、このアメブロもそうです。ここには毎日のように、価値があるのか無いのかわからないデータがどんどん放り込まれます。そのほとんどが、利用者個人の利益や公益に貢献することは稀でしょう。つまり、ほとんど無価値です。そんなデータが毎日のように蓄積しています。もちろん、当ブログもです。
しかしそのお陰あって、今やネット上で欲しい情報を探すのはとても難しい。探しても探しても、本当に欲しい情報には一向に辿り着かない。的外れな情報が多過ぎるからです。これは、ネットを長くやっている方には共通の悩みではないかと思います。

ただし現実のゴミとは違い、これら情報ゴミは無価値とは言えど、基本的にはほぼ無害です。もっと言えば、情報ゴミも分別すれば一部が資源に還ります。拾い集めれば有用な情報に成り得ますから。
しかし中には、深刻な毒物を生むかもしれないゴミが存在します。それが中韓批判です。



【中韓批判が多過ぎる】

中韓批判は、いつ何時、この藪から蛇が出るか知れたものではありません。瓶と缶がペットボトルに代わったような、自分が安易に上げた誤情報が拡散するというようなレベルではありません。かつて焼却ゴミからダイオキシンが発生し、大社会問題になったようなイメージです。ネットに情報をアップする側は、そのリスクを常に念頭に置かなければなりません。もちろん私も含めて。

しかし今や、政治分野におけるブログの上位は、中韓批判ばかりが目立ちます。実際、この記事を書いている時点でブログランキングサイトを調べてみれば、次のような構図が見えてきます。
まず、ブログ村のランキングを見ると、政治カテゴリのベスト10の半分は、韓国または中国、あるいはその両方に対する批判が柱です。他方、人気ブログランキングの政治カテゴリに至っては8割方がそうですし、当ブログも登録している社会・政治問題カテゴリですら、半分以上を占めます。アメブロのカテゴリは「政治・経済」が一緒くたですが、それでも2割が中韓批判でした。
 参考:ブログ村「政治」人気ブログランキング「政治」アメブロ「政治・経済」

もっとも元来、私自身は右寄りですし、これらブログ作者が言いたい事はよくわかります。ひとつひとつの記事を読めば、共感する部分も少なくありません。しかし数が問題です。明らかに多過ぎます。

こうした批判記事を見ていくと、出典が不明な内容も多く含まれますが、何より目立つのは感情剥き出しの誹謗中傷です。中には、その国の歴史や民族性、存在までも否定する人。歴史や科学を駆使し、相手に不利な事実だけを並べ立てる人。あるいは、占いなんて信じていないくせに、国旗デザインが呪われているなどと声高に叫ぶ人。
嘘っぱちではありませんが、読み手に何を理解させ、何を印象付けたいのかは甚だ疑問です。読むと本当に疲れます。日本を愛せと言われても、中韓と同じ手法を駆使する人に説かれたくはない話です。



【情報は意図したとおりに伝わらない】

ところで、地域を研究する歴史学者や民俗学者達が、その解明のカギとなる古文書をどこから入手するか、皆さんはご存知でしょうか。武家屋敷の書庫?豪農の蔵?
確かにそこも大切なのですが、実は襖(ふすま)が大事なんです。

かつて紙が資源としてとても貴重だった時代、書き終わった紙は絶対に捨てませんでした。意外に思う方もいると思いますが、紙は布より高価でした。当時の紙は傘にも使っていたくらいですから、水に強く、とても頑丈で破れません。昔の人はこれを建材としても活用しましたので、旧家の襖の表紙を丁寧に剥がしていくと、貼り重ねられた紙の中から昔の手紙とか大福帳が出てきます。時に、そこには、重大な歴史の真実が埋もれていることもあるのです。
 参考:山口県の近世/近代史「ふすまはがし&古文書紹介」


紙も墨も貴重な時代ですから、当時は識字率も同様に低かった訳です。つまり、字を書き歴史を残せる人は限られていました。彼らは法律や政治経済、時事などの重要なことは多く記録しましたが、日常の些細な出来事や、文盲の庶民の暮らしについては詳しく遺しませんでした。そのため、今に語り伝えられる民謡や歌舞伎や能などの大衆演芸の演目は、そうした暮らしぶりも伝える貴重な資料だったりします。
またそうした時代ですから、作者は往々にして事実を脚色することがありました。自身に都合の悪いことは書かず、良い所だけを残して歴史を美化してしまう。これは、原文を書きなおして編集したりする過程でも行われたはずです。

つまり情報とは、発信する時点で作者の意図が過分に含まれていて、それを受信した側の印象や解釈によって伝達します。だからこそ「歴史解釈」という作業が存在します。要するに、決して作者の意図したとおり伝わる訳ではないのです。


さて、皆さんには、私が言わんとしていることが伝わるでしょうか。
つまり、今私達が生み出している情報ゴミを目にするのは、遠い未来の子孫達かも知れないということです。私達が古文書を解読するのが大変なように、やがて生まれる子孫達も、私達が何を言いたかったのか、今の世相や価値観を調べなければなりません。またそうした情報に基づき、彼らが歴史を手探りで紐解いていく時代が、いずれやって来るのかも知れないのです。私達が彼らに残すべき政治哲学は、中韓批判だけで良いのでしょうか。



【後世に何を遺すか】

確かに私も核武装論まで肯定していますが、中国や韓国を滅ぼそうなどと思ったことはありません。それは過去記事をお読みいただければお分かり頂けると思います。
 参考:過去記事「戦後レジームからの脱却って何?」

いや、そんなこと以前の現実論として、隣国や他民族を滅ぼすという行為が正当化できる時代は、もう恐らく来ません。仮に戦争が起こって、期待通り日本が勝利を収めた所で、相手国を支配し奴隷化できるはずもありません。
あるいは、革命や内戦などの政変によって中韓の価値観が変わり、日本と本当の意味で仲良くできる日が実現したとしましょう。その場合にも、増えすぎた中韓批判はそれを阻害することでしょう。

私は、ネット上に氾濫する中韓批判も、いずれ作者の意図しない形で伝わってしまうのではないかと危惧します。日本人の愛国心を啓蒙したいとか、マスメディアが報じない部分に光を当てようという姿勢には好感を抱きますが、リスクは決して小さくないのです。

以前の記事で詳しく書きましたが、私はweb上の情報は、一度上げてしまえば消すことはできないと思っています。訂正記事を書くことはできても、大手新聞社のように都合の悪い誤報だけを図書館から削除するというようなことは、もう不可能な時代です。
 参考:過去記事「あなたの情報は盗まれてます(1)」


別にフジテレビや花王にデモをするのは構わないと思います。新大久保のデモも、ヘイトメッセージを除けば私も理解できます。しかしそこまでです。私自身も、飲み屋では中韓批判を語ることもありますが、せいぜいその場で盛り上がる程度が限度だと思っています。こうした議論は行き過ぎるとやがて、左翼の勧善懲悪なルサンチマン思想に至りますから、右翼を語っていても論法は誉められたものではなくなります。
 参考:過去記事「ルサンチマンと新しい日本史観」


だから当ブログは、中韓批判を踏襲することはしないと決めました。
本当は書きたい事、山ほどあるんですけどね。



情報ゴミは、全て無害とは限りません。いずれ誰かに都合よく利用されることもあるでしょうし、ビッグデータと呼ばれるものはゴミの塊だそうですから、ゴミにだって価値はあります。と言うか、そう信じていなければこんなブログ続けていけませんからね。
ただ、それが必要でなくなった時代にもデータは残ります。私達はそれを忘れてはなりません。

今回も最後まで読んで下さりありがとうございました。



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