→死とは忌むべきものか(1)~(4)
→誰のための生と死か
当ブログは性質上、暗くて重いテーマを取り上げることが多いのですが、その最たるものがこの「死」かも知れません。しかし私自身は、このテーマを暗い気持ちで書いては居ません。読んで頂く方にも暗くなって頂きたくはありません。読み進めていくにつれ、是非そのあたりを汲み取っていただければ幸いです。
最近、暗い記事が続いたせいか、私は2つの言葉をよく意識するようになりました。それは、「病気と生きる」と「死と生きる」という言葉です。今回はこのテーマについて書こうと思います。
私の生まれは神奈川県東部で、今でも田園地帯が広がっているような場所です。田舎ですから農業をやるのは年寄りばかり。私を含め、若い人はどんどん東京方面へ出て行ってしまいますから、結果的に年寄りばかりになります。また田舎は狭い世界ですから、いつもどこかで誰かが亡くなったという話が聞かれます。
ご経験の無い方には伝わらないかも知れませんが、田舎というのは「死」が濃いんです。空気には窒素と酸素と二酸化炭素の他に、アルゴンとかネオンとかが含まれていますよね。そういう微量な「死」の濃度が少しだけ高いというか、匂いがするというか。
【皆でワイワイお葬式】
こういう田舎に住んでいると、法事も葬式も日常茶飯事です、その度に「えー!まさかあの人が!?」などと大袈裟に驚いていては、疲れてしまいます。誰もが何度となく経験していますから、大抵は冷静に受け止めます。田舎には、死を当然のものとして受け止める雰囲気とか、風土があります。年寄りが多いからというよりも、恐らくは古来からの感覚がそのまま残っているようです。「死」も、所詮は森羅万象のひとつに過ぎないということでしょう。
参考:Wikipedia記事「森羅万象」
しかし私達は都会で暮らしていると、死を身近に感じることはとても少ないですよね。最近は、「密葬」とか「家族葬」が増えていますが、こうした行動様式の変化は、私達から死を一層遠ざけてしまうようにも感じます。私自身は本来、葬式は子供の頃から参加すべき行事だと思っていますが、「子どもがショックで寝込む」とか言う人もいるので、他人には勧めません。
一方、田舎での葬式は大々的にやる傾向が強いです。年寄りが亡くなると、同じ年代の年寄りが故人をしのんで集まりますから。元気な年寄りは積極的に手伝いますし、皆が仕事を放り出して参加します。加えて、実家周辺では「組」という地域コミュニティーが葬式を相互協力するのが習わしですから、概してワイワイガヤガヤとなります。
〽とんとんとんからりんと隣組~♪
こんな歌を覚えている方はさすがに少ないでしょうか。隣組とは、戦中に地域が連携する目的で制定されたコミュニティーです。しかしこれが、思想統制を相互監視する役割も担ったために、GHQが解体したそうですが、いやいや、今も現役活動中です。だから葬式を執り行う場合も、人手が足りないということはまずありません。懐かしいので歌もリンクしておきます。
参考:Wikipedia記事「隣組」
参考:Youtube動画「とんとんとんからりんと隣組 」
【死が濃い土地】
このように田舎の生活では、「死」は大変身近なものです。だから個人の遺体を見たり触れたりということも、子供の頃から慣れてしまう所があります。
そんな中にあって、私の体験はもう少し特殊です。35歳にして、4人を看取った経験があるからです。両親の他に、たーちゃんという奉公人を看取ったという話を過去記事で述べていますが、実はもうひとり、とても印象的な死を看取りました。隣に住む農家のおじさんです。
おじさんは大変に生真面目な方で、生前に隣組の組長はもちろん、農協の理事、寺の檀家総代、稲荷神社の祭執行委員など、地域で必要な役目を積極的に引き受けた方です。一方、農家としてはとても小さな規模で、家族が食べる分だけを作っていました。それだけに、田植え機やコンバインといった大型機具を持つことはできず、これは私の実家で協力するのが慣例でした。庄屋と小作人みたいなイメージと言えばわかりやすいでしょうか。
しかし善人というものは、長生きしないんですね。おじさんは半年に一度は、農繁期を避けては人間ドックへ行き、その度に必ずポリープが見つかって小さな手術をしていました。しかし、これだけ気を付けていても、癌から逃れることはできないんですね。
平成11年の春。父が亡くなり、奉公人のたーちゃんが逝った翌年、おじさんも後を追うように他界しました。
【糸を切る仕事】
前年の冬から入院していたおじさんの容体がかなり悪いことは、事前に知らされていました。翌年になると主治医は家族に、もう長くないと告げたそうです。当時、私は祖母と見舞おうとしましたが、家族から断られていました。気管切開をしていたため、会話ができないからと。
やがて、4月に入ったある日、おじさんから私に話があるから直ぐに会いに来て欲しいと、奥さんと子供達から連絡が入りました。病室へ入ると、数カ月にも渡る看病で疲れ切ったご家族。ベッドには、見た目にももう長くないとわかる、痩せ細ったおじさんの姿がありました。
意識が朦朧とする状態にもかかわらず、おじさんは私に、必死に「ありがとう」と声にならない声を掛けるのです。そして同時に、何かを強い目で訴えてきたのがわかりました。
4月。そう、もう直ぐ種まきです。種は約1カ月で育ち、息つく間も無く田植えの時期を迎えます。私には、おじさんの言わんとしていることが直ぐにわかりました。だから必至で涙を堪えて、こう言いました。
「おじさん、大丈夫だよ。おれが植えるから、安心して体を休めてね。」
あの時、笑顔を浮かべて頭を下げ、脱力していくおじさんの顔は、今も忘れられません。それから3日を待たず、おじさんは眠るように息を引き取りました。
種まきも田植えも、農家にとっては命より大切な仕事です。田植えの時期が近付くと、年寄りは誰もが元気になり、せかせかと落ち着きを無くします。夏の間は一生懸命に汗を流し、秋に収穫を終えたとたん、年寄りに戻ります。冬の間はとても物静かになり、体が重くなってよく風邪をひきます。私のうちでも、そうした祖母の様子を熊の冬眠に例えていた程です。それだけに、冬に亡くなる人がとても多い。張りつめた糸が切れるからです。
私は、おじさんの糸を切ったのだと思っています。でもそれを悔やんだことは一度もありません。私は私の仕事をしたと思っています。残される者の果たすべき責任を、若造なりに何とか全うできたと思います。
【死と生きること】
人の死を看取ることを、「死に水を取る」と言います。死に水とは「末期(まつご)の水」のことで、故人の口に大きな麺棒で水を含ませる行為のことです。古くは臨終間際に行ったそうですが、今は亡くなった後に行うようになりました。
これは、自らの最後を悟った仏陀が弟子に頼んで飲んだ水に由来し、仏陀はこの水を口にした直後に亡くなったそうです。以下のサイトに寄れば、初期仏教の経典のひとつ『長阿含経』に書かれたエピソードに基づくとあります。
参考:丹波哲郎の霊界サロン「〃末期の水〃の意味は? 」
死に水を取るというのも、やっぱり少し悲しい仕事です。人はいつも死と隣り合わせに生きています。私達は誰しもが、自分の死からも他人の死からも逃げることはできません。
またこれは、病についても言えることだろうと思います。少し悲しい出来事ですが、やっぱり誰しも訪れるもので、それはいつも不意にやってきます。
だからこそ、「死と生きる」、「病と生きる」ことは人生の本質を教えてくれます。
【おまけ】
先日、過去記事にも登場する千葉の居酒屋へ、2夜連続で行ってきました。と言うのも、この居酒屋のすぐ近くで、3日連続終日の仕事が入ったためです。本当ならば、記事にも登場したおやじさん、つまり店の店主の顔が見たくて行ったのですが、残念ながらそれは叶いませんでした。
8月上旬、おやじさんがまた倒れました。幸い今回は軽い発作に留まりましたが、1月経った今も基本的には自宅療養中です。体力面や精神的な落ち込みもあるようで、「まるチャンに会いたいなぁ」と伝言だけは残してくれましたが、お会いできず残念です。
しかし、店を再開するタイミングとも偶然重なり、幸いにもお邪魔することが出来ました。今回はおやじさん抜きでしたが、ご近所の常連さんと一緒におやじさんの陰口で大いに盛り上がったという訳です。
しかし、私が店を訪れる度、おやじさんが倒れたり、店を開けたり閉めたりのタイミングに重なるという偶然。そんなことを振られ、実は今回のテーマとなったエピソードも話題になりました。
「おれって死神・・・?」
なんて凹んでしまったりもするのですが、常連さんのある女性がこう言うのです。
「まるチャンが来るから死ぬんじゃないよ。死がまるチャンを引き寄せるだけ。あなたにはそういう、人の死を看取るっていう大切な役目があるのよ。」
とても美人で、透き通ってるというか少し不思議な印象の方ですが、常連さんの間では強い霊感の持ち主だと評判だそうです。これまで、誰かが墓参りしたとか、この酒はご住職が持ってきたものだとか、とにかく当てるんだそう。
うーむ、じゃあ葬儀屋でも出そうかな。。。
その時はみなさん、どうぞよろしくお願いします。(おい)
今回も最後まで読んで下さりありがとうございました。
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