残念ながら野球には明るくありませんが、政治と宗教については大いに話します。むしろ、意図的にこのタブーを拒絶する傾向があるのだと思います。私自身は、宗教というものをできる限り偏見を持たずに理解したいと願っていますので。
根底には、大学で履修した宗教学の教授が、中東研究において日本の第一人者である笈川博一先生だったことが大きく影響しています。
1995年の地下鉄サリン事件当時、日本のメディアに新宗教をまともに評論できる人はほとんどいませんでした。あれだけのテロを起こした団体が、それ以前には高尚な宗教学者から絶賛される程の教義を持っていたことは、今も多くの人が知りません。マスコミはやったことと言えば「カルト集団」というラベルを貼っただけで、裁判の経過も含めて事件の動機はほとんど検証されていません。宗教を語るのはこの国のタブーでしたが、この一連の出来事以降、その傾向はさらに高まってしまったように感じます。
知り合った相手の主義信条を理解するのは、人間関係構築の入口だと思うのですが、「あなた何教?」と聞く人はあまりいません。話題に新宗教の名前が出た途端、口が重くなる人がほとんどです。その結果、人間関係が希薄になってしまうのは残念でなりません。
私は農家の三男坊でして、実家は鶴見曹洞宗系の檀家です。神棚には天照大神があり、近所の稲荷神社の氏子ですので、秋祭りは毎年決まって神輿と奉納相撲が習わしでした。今現在は職業柄、神田明神へしばしば参りますが、ついでに靖国神社へも足を延ばすことが多いです。でも、ユダヤ教徒やキリスト教徒とも酒を飲みながら宗教の話をしますし、創価学会や幸福の科学の知人もいます。価値観の異なるお互いを区別はしていますが、一緒に悩みも相談し合いますし、差別はしていないつもりです。
いつも笈川先生が提示されたのは、「なぜ宗教を理解しないのか」というメッセージです。サミュエル・ハンチントンが示したのは文明の境界線で戦争が起こるという予測でした。境界線は、歴史、言語、文化と、宗教によって規定されるとのことですが、その予測は今のところほぼ的中しています。であるならば、その境界線を越えられるかどうかが、戦争を無くせるかというテーマそのものだと思うのです。
文明の衝突/集英社

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宗教の客観的理解や、宗教観を語るのは、いくら綴ってもきりがないですね。だからこそ、挑戦する価値のあるタブーです。このテーマはまた続きを書きたいと思いつつ、今日はここまでにします。
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宗教観と国際化