→死とは忌むべきものか(1)
前回も書きましたが、もう一度同じことを最初に書きたいと思います。
人が生まれた瞬間に、唯一決定していること。
それは「いつか死ぬ」という避けがたい事実だけです。
あなたは死にたいですか。死にたくないですか。それともそれ以外ですか。
街頭インタビューでも電話世論調査でも良いのですが、こんな調査を定期的に実施ししたらどんな結果が得られるかと考えることがあります。別に自殺願望者の割合を明らかにしようというのではありませんし、私自身も自殺志願者ではありません。他者が持つ死生観への純粋な興味です。もちろん、そんなアンケート結果を公表することは日本のタブーですし、アンケート自体を行う事も容易ではないと思います。
以前テレビで、自らの死を願い続ける長老に密着したチベット仏教のドキュメンタリー番組を見たことがあります。敬虔なチベット密教信者は輪廻転生を信じているため、死を恐れたり忌み嫌う価値観がありません。実際にその村では、若者も子供も天に召され輪廻転生することを願いながら生きているということでした。
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私の祖母がまだアルツハイマーになる前、「何歳になってもやっぱり死ぬのは怖いもの?」と率直に尋ねたことがあります。祖母は、「同い年の仲間が皆死んじまえば寂しいし、自分ひとりが長生きしたいとはあんまり思わねぇけど、死ぬ瞬間はやっぱり怖いよ」と言っていました。祖母に限らず現代日本人の多くは、死の瞬間を恐ろしいものと捉えているのだと思います。また、生きていれば誰であっても現世に多くの未練がありますから、死にたくないと思うのは極自然なことのように感じますよね。しかし、同じ時代でも風土や宗教が変われば、死を恐れずに受け入れ、生と死が共存する世界観を持つ社会もあります。
私の両親は既に他界しておりますが、前回書いたたーちゃん、それ以外に隣家のおじさんの死に目にも会ってきました。その度、死というものをどう受け止めるべきか悩みました。死とは不幸なのか。死とは悲しいことなのか。死とは避けるべきことなのか。
介護や看病を長年続けてきた家族から、肩の荷が下りたという場合はどうなのか。障害を持った人が亡くなった場合はどうなのか。差別だとかそういうことではなく、人間は死をどう受け止めるべきなのか。
チベット仏教の価値観は、この疑問に私たち現代日本人の観念とは別の角度から光を当ててくれています。私は、この価値観の違いは宗教的な違いというだけでは説明できないと感じます。
人が豊かな人生を送るためには「どう生きるか」ということと同じくらい、「どう死ぬか」というテーマも必要な哲学だと思います。しかし、それを日常で耳にしたり論じる機会はとても少ないですね。日本以外の先進国ではどうなのでしょうか。高齢化社会なら尚更、学校教育やマスコミでもそうしたテーマをもっと取り上げるべきだと思うのですが。
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死とは忌むべきものか(3)に続く