「そんなことすると怒られるよ!」
「怒る」ではありません。「怒られる」です。・・・て誰に?
イスの上で飛び跳ねてはいけないのは、それがマナーだからです。他者に迷惑をかけてはならないからです。誰かに怒られるからではありません。おかしいですね。
恐らくこのお母さん達は、怒る人がいなければある程度までは不作法をしても良いと考えています。誰も見ていないなら大丈夫という訳です。しかし最大の問題は、その考え方を子供にも植えつけてしまうことです。仮にその事実を私が突きつけたら、お母さんご自身はどう思うのでしょう?
というようなことを考えていて、中学3年生の時に受けた道徳の授業を思い出しました。当時の私は真面目とは程遠い生徒でしたが、担任が人格者だったおかげで、今でも忘れられない授業のひとつです。授業の内容を記憶だけを頼りに、しかも途中から台本っぽく書くので、少し読み辛いかも知れませんが何卒ご容赦ください。
【教科書の問題文】
あるバスに2人の乗客が乗ってきました。1人目は大柄な若い男性。2人目はかなり年配のお婆さんです。しかし、このお婆さんは1万円札しか持っていませんでした。運転手は、バスは千円札しか両替できないと言いますが、お婆さんにはどうしようもありません。モタモタしているお婆さんを見かねた運転手は仕方なく、今回は運賃を払わなくても良いと言い、バスを発車させました。
バスが発車すると、運転者が車内アナウンスで言いました。
「バスにご乗車の際は、必ず小銭をご用意いただくのが常識です。バスは千円札しか両替することができませんから、ご注意ください。」
それを聞いた大柄な若者は、最後部の座席から大きな声で怒鳴ります。
「どっちが非常識なんだよ!」
この話を読んで、あなたは誰が一番非常識だと思いますか?
以上が問題文です。これは皆さんご自身も考えてみてください。その上で次をお読みください。ここからは先生が司会をし、授業は生徒の討論のような形式で進みます。
女子生徒A:「一番非常識なのは運転手だと思います。お婆さんも悪いけど、車内アナウンスで叱るというのはちょっと厳しすぎると思います。それを非難した若者は悪くありません。」
数名からも同様の発言が続き、一旦はクラス全体がこの意見に傾きかけます。
先生:「他の意見がある人は?」
男子生徒B:「お婆さんが非常識だと思います。運転手は結局、無料で乗せてあげたわけだから、そんなに悪い人には思えません。そもそも、このトラブルの原因はお婆さんが作りました。」
この発言を受けて、クラスの意見が分かれ始めます。傾向としては、女子は運転手だと言い、男子はお婆さんだと言う空気になりました。
先生:「では若者が一番非常識だと思う人はいますか?」
女子学級委員長:「若者が非常識だと思います。小銭を準備しなかったお婆さんと、厳しすぎる車内アナウンスをした運転手の双方は同罪です。しかし、若者は一見、正義感で行動しているように思えますが、当事者ではありません。なのに怒鳴るというのは、行き過ぎた行動です。」
しかしこの意見は少数の賛同しか得られず、クラス全体の傾向は変わりませんでした。そこで先生は、二つ目の質問を投げかけます。
先生:「では、このトラブルはどうすれば防げたと思いますか?」
女子生徒C:「それはどう考えてもお婆さん。お婆さんが小銭を準備すれば問題は起こらないよ。」
男子生徒D:「賛成。そもそも、お婆さんをバスに乗せなかれば問題は起こらなかった。」
女子生徒E:「それはちょっと可哀そう過ぎる。」
先生:「つまり多くの人は、トラブルの原因はお婆さんだと思うわけですね。異議のある人はいますか?」
一同:「・・・・」
先生:「では他にトラブルを防ぐ方法は何か無いですか?」
女子学級委員長:「運転手がこんな車内アナウンスをしなければ良い。それよりも他の乗客に「1万円を両替できる方はいませんか?」と聞くくらいの優しさがあって良いと思う。」
女子多数:「賛成~!」
先生:「ということは、トラブルの原因は運転手が作ったということですか?」
女子学級委員長:「・・・お婆さんだと思います・・・でもわかりません。」
先生:「トラブルの原因がお婆さん以外にあると思う人はいませんか?」
男子生徒F:「・・・僕は、3人とも全員だと思います。お婆さんと運転手だけでなく、若者もトラブルの原因です。みんなは若者はそんなに非常識じゃないって言うけど、バスの中で怒鳴るっていうのはやっぱり非常識だし。原因は3人とも同罪。」
一同:「・・・・・・」
先生:「なんと若者も原因だという意見が出ました!同じように思う人はいますか?」
♪キーンコーンカーンコーン・・・
と議論は途中でしたがここで授業が終了しました。もちろんこの問題は倫理哲学の問題ですから、正解などあろうはずもありません。悩み考える過程に自分なりの学びがあるのです。ちなみに、良い子ぶって最後に発言した男子生徒は私です。当時は「俺正解言ったぜ!」と思ったものですが、今思えば問題提起をしただけですね・・・・。でも、サンデル教授のハーバード大学「正義」の講義の中学校版とも言える道徳の授業は、算数の次に好きだったことを思い出しました。
さて、社会のルールを子供に教えるというのは、親である私自身もそうですが、本当に難しいです。親が子供の規範となる行動をするだけでも、言うが易し行うは難しです。周りがルールを守らない個人主義の中では、「自分だけが正しいことをしても割を食うのがオチ」というのがある意味で最も真実です。
しかし、道徳は一度崩れてしまうと復活させるのが非常に困難です。そのことを私たちは肝に銘じなければなりません。ということで、最後にサンデル教授がよく使う面白いエピソードをご紹介します。
これはイスラエルの幼稚園で実際に行われた話です。ご承知の通りイスラエルは情勢不安定ですから、親の送り迎えが必須です。しかしこの幼稚園では、お迎えに遅刻する親が多くて困っていました。そこで、遅刻者に対して罰金を科すことにしたそうです。罰金は保育士の超過勤務手当の一部に充てられるので、一石二鳥の発想です。
しかしその結果は惨憺たるものでした。遅刻が減ったのは最初の一カ月だけで、以降は減るどころか、なんと増加してしまったのです。そのため罰金制度をすぐに廃止したのですが、以降も遅刻者は一向に減ることがなく、制度前の水準に戻ることはありませんでした。
サンデル教授によれば、ここで起こった現象は、罰金がいつの間にか超過料金という価値にとってかわってしまったのだそうです。実は、親たちはそれなりに必死に遅刻しないよう頑張っていました。それは道徳観念によって支えられていました。しかし、そこに金銭的価値を持ち込んだ結果、道徳的価値観は瞬時に失われ、二度と取り戻すことが出来なくなったわけです。道徳は本当に尊い教育なのだと強く感じます。
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行きつけの定食屋さんでは、今日も2階を子供がドタバタ走り回ってます。やっぱり道徳教育は必要ですね。先日このネタを飲み屋でやってみたのですが、大いに盛り上がりました。酔っ払いの議論の結果、道徳は絶対やるべきだという結論に至ったので、今回のネタにしてみました。
今回も最後まで読んで下さりありがとうございました。と言いつつ、今回は続き記事を連投します。ご興味あれば次の記事もぜひご覧ください。
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道徳教育は必要です!(2)に続く