反捕鯨は十字軍と同じ | この国のタブー

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素人だけに、それみんな知ってるよ?ってこともあるかもしれませんが。
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私はホンダ好きと猫好きが苦手です。ホンダ好きは、車の性能を誇ったり本田宗一郎を尊敬するまでは良いのですが、彼らはすぐ、ホンダこそが唯一の車であるかのように謳うので、いつも閉口してしまいます。ホンダは嫌いじゃないんですけどね。

また、猫好きが苦手なのも同じ理由です。愛玩動物としての可愛らしさや優れた知性には全く異論ありませんが、それをまるで人間と同じように扱ってしまうのには、ちょっと言葉を失います。別にアレルギーもありませんし、猫を触るのは結構好きなんですけどね。


価値観というものは人それぞれです。もちろん、他人に害をなさなければという前提はありますが、少なくともホンダや猫が好きだというくらいで争い事が起こることはありません。
ただ、他人と価値観を共有することは大切ですが、それにはどうしても限界があります。だからこそ私達は、相手の価値観も尊重するという術を身に付けたはずです。人種も言語も宗教も伝統文化も乗り越えてこそ、人類は初めて共存できる・・・はずですよね?

なのにどうして。反捕鯨論者の主張だけは何度悩んでみてもさっぱり理解できません。



【捕鯨に反対する人々】

捕鯨反対を訴えるのは主に米英豪を中心とした白人社会で、肉は大量に食べても鯨は食べない人達です。

2009年に『ザ・コーブ』という映画が制作され衝撃が走りました。日本では各地で、上映中止の声が高まったと報じられています。
この映画は、和歌山県太地町のイルカ漁の映像を中心に、捕鯨に対して批判的に脚色編集した内容で、中立的な要素はかなり排除されている印象ですが、なぜか「アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞」を受賞しています。
 参考:NHKクローズアップ現代(2010年7月6日)「映画「ザ・コーヴ」問われる“表現”」

グリーンピースから分派独立した環境テロリスト「シーシェパード」は、相変わらず日本の調査捕鯨を違法妨害し続けていて、その母港はオーストラリアです。彼らの行為は以下のサイトに沢山の動画資料として記録されています。
 参考:(財)日本鯨類研究所「調査への妨害」

また、彼らの活動を支援している中のひとつは、CATVで有名なNational Geographicです。とてもクリーンなイメージの環境ドキュメンタリーを描く裏では、環境テロにも加担しているのです。ナショジオ6月号では、捕鯨国ノルウェーにおける捕鯨産業衰退を、あたかも憂うかのような記事を他人事のように書いています。これに反対し続けた張本人のくせにです。自らの勝利を祝いたいか、またはノルウェーの捕鯨漁師をバカにしているようにしか見えず、理解に苦しみます。
 参考:ナショジオ日本版サイト「ノルウェー 消えゆくクジラ捕り」

世界各国を見ると、どうやら伝統的な捕鯨国は捕鯨賛成ですが、捕鯨文化の無い国は反対的立場のようです。ただし、IWC加盟国を見ると、そもそも海に面していない国家が多かったり、親日国家や親米国家などの思惑も読み取れ、政治色が非常に濃いという印象も受けます。
 参考:日本捕鯨協会サイトQ&A「どのような国が加盟していますか?」



【米国の謀略から始まった】

Masaaki Ishidaさんという方が「捕鯨ライブラリー」というサイトを作っています。ここには捕鯨に関するデータや報道、文献からの引用情報が数多く掲載されていて、非常に頭が下がります。その一部を掲載します。

(以下、捕鯨ライブラリー「反捕鯨で「富と名誉」を得る人々」より引用)
 1970年代初め、アメリカはベトナム戦争という泥沼に入り込み、抜きさしならぬ状況に陥りつつあった。枯れ葉剤の大量投下と環境への壊滅的影響、反戦運動の盛り上がりと麻薬禍の拡散、脱走兵の続出等々、反米、反体制、反戦気運を何としても方向転換させる戦略を考え出す必要があった。その結果、ホワイトハウスに特別戦略諮問機関が設置され、英知を絞った末の作戦 として自然保護が全面に打ち出されることとなった。 そして、その象徴として鯨に照準が定められたのである。自然保護に関してカリスマ性に富む多くの理論家、運動家が動員され、それが1972年のストックホルム国連人間環境会議の開催へとつながっていく。
 この会議で、のちに環境保護運動の象徴となる捕鯨のモラトリアム提案(作者注:商業捕鯨の10年間中断)が、何の 根回しもないままに電撃的に可決される。 以来、日本は鯨を大量に殺戮・消費する悪魔の国として、徹底的に弾劾され魔女狩りの対象になっていく。
(引用ここまで)

つまり、ベトナム反戦運動への米国内批判を交わす戦略のひとつとして、環境保護、ひいては鯨保護が謳われたことが、全ての始まりでした。ニクソンとキッシンジャーの謀略です。
さらに次のサイトには、ストックホルムで何が起こったのかがより具体的に書かれています。

(以下、国際派日本人養成講座「The Globe Now: クジラ戦争30年」より引用)
 この日は、アメリカが提案した商業捕鯨の10年間禁止(モラトリアム)について審議される予定であった。日本代表団は定刻に会場に入ったのだが、何と会場には誰も来ていない。不審に思って、事務局に聞いてみると、翌日に延期された、との由。奇妙な事に、日本側だけがつんぼ桟敷に置かれていたのである。
(中略)
 会議を1日遅らせたのは、アメリカ側の根回しのための時間稼ぎが理由であった。提案を「IWCの主催のもとに」モラトリアムを行う、と修正し、当時大統領補佐官だったヘンリー・キッシ ンジャーが、参加各国の外相に直接電話で支持を要請した。あくまで日本案にこだわる国には欠席を強要した。
(引用ここまで)

米国の都合が日本を苦しめる構図はしばしば見受けられますが、本当に自己中心的な国です。加えて前者のサイトには、米国に与する英豪両国は、ともに日本への牛肉輸出に積極的な国であることも書き添えられています。



【捕鯨反対の論拠と矛盾】

Wikipediaには、反捕鯨の根拠として複数の論点が挙げられていますが、ちょっと長いので整理しました。
 参考:Wikipedia記事「反捕鯨」

①「資源保護」の有名無実化
IWC(International Whaling Commission,国際捕鯨委員会)は、鯨の資源保全を目的として1946年に設立されました。その理念に従えば、調査で頭数が多いことを確認できた固体の漁は、本来の趣旨と何ら矛盾しないのですが、実際には調査捕鯨すら否定されるような状況です。つまり科学的根拠に基づく議論ができない状態なので、IWCは明らかに機能不全に陥っています。

②危険性がある?
魚やイカを食べる歯クジラは、海洋生態系の頂点に居ますので、マグロと同じく重金属が蓄積します。一方、プランクトンを主食とするヒゲクジラは極めて安全です。また、海洋汚染物質の蓄積については、北半球を回遊する鯨には汚染物質が蓄積するという人も居ますが、南半球は汚染物質が少なく、特に南極海に住む鯨は極めて安全です。しかしいずれにせよ、現実には摂取制限が必要な程の流通量がありませんので、日本国内で安全性を疑う余地はありません。

③知的生物論と人道論
知的で可愛いイルカ、雄大で荘厳な鯨。声で会話し極めて社会的な高等生物。人間に近いと言う人までいますね。もちろん、そうイメージするのは自由ですが、その価値観を他人に強要するのは問題です。なぜならば、こうした価値観はイデオロギー問題であり、歴史文化によっても異なる問題だからです。「可哀そうだから殺すな」と他人に押し付けるのは容易なことですが、ちょっとおかしい理屈です。

実は、捕鯨問題の根底に流れる最大の問題は、こうした感情論です。



【反捕鯨論者の感情論】

彼ら反対派の感情論は本当に酷い理屈です。

例えば、可愛いから殺すなという主張は、血統証付の犬は生かすが雑種は殺すという理屈と同じです。美人は生かしてブスは殺せと言っているようなものです。知的生物だからという意見も中身は同じで、知性が低い者は殺して良いと逆説的に言っているようなものです。

また或いは、鯨を食べず他の肉を食べろという人がいます。モラトリアム以前までは、鯨肉は日本人の大切なタンパク源でした。私個人はモラトリアム以降に生まれた世代ですが、肉の美味しさは牛<豚<馬<鯨の順に、鯨肉が一番好きです。かつては給食にも出されました。昔は地元でイルカもよく食べました。これは食べる人にしか伝わらないとは思いますが、日本人から鯨を奪うということは、米国人から牛を奪うのと同じです。

さらに中には、ベジタリアンになれという強硬派もいるでしょう。彼らの多くは、動物を殺生することが残酷だと言います。しかし私からすれば、その人達は驕り高ぶった人にしか見えません。ベジタリアンこそが清廉潔白と考えるならば、それは重大な過信です。動物か植物かではなく、牛か鯨かでもなく、命はどれも尊いのですし、食べることは罪深く残酷です。。だからこそ、鯨をむやみやたらに殺すのではなく、食べる分だけを捕り、皮も骨までも利用しました。そして海の恵みに感謝を捧げ、鯨の祭や鯨の神社までもがあるのです。
 参考:Wikipedia記事「鯨塚」



【反捕鯨は宗教戦争と同じ】

そんな私達とは対照的に、20世紀初頭の欧米人は、油を得るためだけに大量の鯨を殺した時代がありました。これが、日本近海の鯨を大幅に減らした原因だと指摘する人もいます。加えて他方、現在でもアラスカやロシアの原住民は鯨を捕って食べています。日本には認めないのにです。
思い起こせば、米国人は黒人もインディアンも日本人も、猿の一種だと言って殺しました。キリストの子以外は人間ではないからです。彼らにとってそれは、バッファローやヘラジカ、ゾウやライオンを撃ち殺すゲームハンティングと同じだったということです。

そしてその彼らが今や、自らの行いは忘れて「鯨は人間に近い動物だ」などと感情論を押し付けているのです。
日本人よりも鯨。
それが白人反捕鯨論者の本音かも知れません。


動物愛護、生態系や生物資源の保全はとても大切なことです。しかし、それをデータも無しに論じ、感情論でやり込めて他国の文化を奪っていくやり方は、全く理解に苦しみます。それはもはやキリスト教原始主義そのもので、かつて東ローマ帝国が十字軍を遠征し、聖地エルサレムからイスラム教徒を追い出した方法論から、何ら進歩していないことの証です。

最後に繰り返しますが、反捕鯨に正義はありません。これは価値観の違いであって、科学的根拠に基づいていないし、日本人の歴史や文化を無視した感情論に過ぎません。IWCには、それを利用する米国を中心とした各国の思惑が大きく作用していることも、決して忘れてはなりません。
今回も最後まで読んで下さりありがとうございました。



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