6日は、奈良に行こうと思っていたのだけど、午後から雨の予報。少しでも降水確率が低い方が良いので、行き先を滋賀県に急きょ変更。このように融通無碍なのが一人暮らしの強み(笑)。

7時少し過ぎに宿舎を出て、JR東海道線に乗る。

滋賀県って、どっちかと言えば地味な印象がありますが(と思うのだけど、違うかな?)、実は見所だらけの大変な県なのです。これまで、比叡山、坂本、三井寺、石山寺、長浜といったところを回ってきたのだけれど、どこもすばらしく、でも、本当に駆け足で回っただけなので、改めてじっくり行きたいところばかり。でも、まだ行ってないところばかりなので、まずはそっちに行かないといけない。

というわけで、今日は安土を目指します。軍師官兵衛でも、ちょうど本能寺になりそうだしね。ここには30年ほど前に来たことがあるんだけど、もう忘れているのです。

まずは安土に、そして近江八幡に行くという感じか。

駅を降りると、さっそく信長がお出迎え。今日はよろしくね。

駅の周りも、安土城を意識したような、白と赤の建物が多いのです。

さっそく駅前のメインストリート?をてくてく歩く。郵便局の角で右に曲がって次の角を左へ。そうしたら、活津彦根神社の御旅所というのがある。へえ。御旅所というのは!京都市内ではあちこちにあるのだけど、こんなところ(失礼!)にもあるんだ。よっぽど大きな神社なんでしょうか。確かにまっすぐ進むと道に鳥居がたっていて、くぐることになるんだけど、駅でもらった散策図にはそんな神社は出ていないので、まあ、いいでしょう。というわけで右折してセミナリオ跡にむかう。でも、後から考えるとこれは失敗。軍師官兵衛の官兵衛紀行では、安土の時にこの神社を紹介していたのでした。仕方ないのだけどね。少し進むと、セミナリオ跡。遺跡が残っているわけではないのだけど、碑がいくつか立っている、小さな公園があるのです。ちょうどここから安土山が良く見える。

そこからさらに歩いて行く。おお、確かにこんな感じの橋を見たような気がするなあ。30年ぶりの安土山に着いたのです。

お寺があるのでさっそくお参りしようとするけど、お堂は閉まっていました。

石段があるんだけど

ここからは登れず、別の入口に回れと書いてある。しばらく歩くと、大手道の入口に着く。安土山はそう見寺(「そう」は総をてへんにした字)が管理していて、入山にはお寺に500円納めるとのこと。30年前には無料で入れたのだけと。文化財を管理してもらっているので文句を言っても仕方ないし、せっかくなので特別拝観することにして1,000円納める。ここからは石段がずっと続く。はあはあして登ります。あちこちに石仏あり。これ、築城の時の石材にあちこちの寺から集めたものというわけで、信長の合理性を示したものとされる。あじさいがなかなか美しい。

二の丸跡には信長の墓があります。そう言えば、信長の墓って、あちこちにあるなあ。京都では本能寺(事件のあった場所からは移転してます。)、寺町阿弥陀寺(明治政府から公式に認定されたのはうちだ、と言っておられます。)には行きました。大徳寺そう見院にはまだお参りしていないけど。安土城のお墓では、石が祀られていますね。そう見寺に石を置いて拝ませた、という話に関係あるのでしょうか。

天守閣(本当は「天主閣」らしい。)跡からの眺望は見事。大中の湖がよく見えます。農地の基盤整備が美しい。ここに地上6階建てのお城があったというのは、まさに壮観だったことでしょう。もし今も残っていたら確実に世界遺産ですよ。そう見寺の三重塔と仁王門は当時の建物が残っています。この三重塔は坂の途中に建っているので、屋根をすぐそばから見ることができるのです。

それにしても、城に向かう道の途中に寺があるという構造はちょっと不思議なのです。

鬱蒼とした林の中の道を歩いて行くと、最初の大手口に戻る。ここで特別拝観のそう見寺へ。信長の像などが飾られている。つい今見てきたばかりの山のあちこちの風景が襖に描かれている。抹茶が出てきて、お庭を眺めながら一服。

山を出て、安土考古博物館に向かう。田んぼの中の道を15分くらい歩くのだけど、奇妙な建物が遠くから良く見えるので、道には迷わない。途中、東海道線の下を通ります。博物館に着いたら、さっそく食事。近江牛の肉うどんがある。肉が通常盛りのと、2倍盛りの「うつけうどん」、4倍盛りの「大うつけうどん」があり、うつけうどんを注文。なるほど、お肉がとてもおいしい。でも、量が少ない。大うつけうどんにすべきだったか。でも、さすがに高いのだ。

この博物館と隣の信長の館の共通券を買う。大中の湖遺跡の全体図面が大きく展示されている。土器、青銅器などなど。日本で一番小さな青銅器と一番大きな青銅器がともに滋賀県で発掘されているというのが興味深いのだが、小さな青銅器がまあかわいい。別のコーナーでは城の変遷を展示。

しかし、あれこれだけ?という感じがありまして。建物の外観から想像したのに比べて展示内容がかなりシャビーなんです。今回見たのは常設展示だけで、企画展示はやっていなかったというのがあるのかもしれないのだけと。ところで、建物の上のドーム、とってもすてきなんだけど撮影禁止というのは残念なのです。発掘された土器などを実際には触れるコーナーもあり、これはなかなか良いのでは。

隣の信長の館に行く途中には明治時代の小学校の建物が建っている。信長の館は入るなりおおおお!と声をあげてしまう。だって、いきなりなんですもの。

セルビア博覧会に出展された、安土城5階6階部分復元(堺屋太一さんがプロデュース)が展示されているのだけど、建物の大きさに比べて中身の展示物の大きさが意外にでっかくてびっくりしたのです。いやあ、それにしても、派手なものだなあ。原色ばっかり使っているぞ。やっぱり信長の感性は日本人離れしているのだ(と思ったけど、よく考えてみると、それはちょっと変で、京都奈良にある寺社仏閣も創建当時は極彩色だったのが、時間の経過で色あせただけ、ということらしいのでした。)。5階部分は仏教の世界ということで、お釈迦様が十大弟子に説教しておられ、周りを天女が舞っている図。そして最上階の6階は中国思想の世界で、孔子や老子が描かれています。いやあ、繰り返しになるけど、派手派手なのだ。

ここは、一度は見に来るべきですよ。いやあ、良いものを見せていただいた。。

それにしても、この、考古博物館や信長の館がある一角には、他にもいろいろな施設(いわゆるはハコモノが建っていて、何だかすごいのです。)

置いてあるパンフレットを見ていると、このすぐ近くに、桑実寺(くわのみでら)というお寺があるようなので、せっかくだからそちらに立ち寄ってみることにする。でも、地図がちょっとわかりにくい。ととりあえずハコモノの前の道を歩いて行ったのだけど

標識もなくて心配になったのでまた戻って、たぶん間違いないであろう道を歩き直す。何だかかなりせまい山道になっていくのだけど、でも、標識があったので安心。結構きつい坂道です。山登りと思しき人たちが結構降りてくる。ここで雨が降ってきた。それほど強くはないのだけど。はあはあ言ってしばらく歩いたらようやくお寺が見えてきた。茅葺きの、かなり小さなお寺。お堂の内陣まで入れるのです。平景清が背比べをしたという石が立っている。ほんまかいな。

このお寺のさらに上に進む道があり、観音寺城(六角氏のお城)に行けるらしいのだけど、雨が降っていることもあり。今回は断念。おとなしく下山します。石段を降りてそのまままっすぐに進むと安土駅に行けるのです。途中、さっき来た所にまで戻る。ここに標識があれば迷わなくて済んだのに。

駅前に戻ると、やはり赤白の城郭資料館があるので入場。ここの目玉は、安土城の模型。縦に分かれていて、中の様子が見えるのです。さっき見た信長の館とは、5階が仏教、6階が儒教道教という点は同じなんだけど、絵の書き方はだいぶ違いますね。

この資料館のすぐ脇には相撲のやぐらもある。近代相撲発祥の地と書かれている。それって、要は信長が相撲好きだったということなんだけど。

いやあ、それにしても、見所がいっぱいの街なのでした。欲を言えば、同じ安土城をテーマにした城郭資料館と信長の館が別にあり、そこにさらに考古博物館まであるというのが文字通りのバラバラ感なんですよね。いろいろ事情はあるのだろうけど、近くに建てるか、いっそのこと同じ施設にすれば良かったのに。

次の機会があったら観音寺城などど、今回行けなかった所にまた来たいのでした。

時間がなくて近江八幡には行けなかった。次はそっちか。

 

 

 

平成26年7月6日(日)の朝ご飯は

目玉焼き+キャベツ(塩ごまだれ)+納豆+大根と油揚げのみそ汁+梅干し+明治おいしい牛乳

今日は、久しぶりに奈良に行こうと思ったんだが、天気予報が良くないので、せめて多少でも降水確率の低い北の方に向かうことにする。

 

 

7月6日(日)の昼は、安土城考古博物館のレストランで、近江牛うどん(牛肉二倍入りの「うつけうどん」)1100円

なかなかおいしいのだが、肉が少ない……やはり、四倍入りの「大うつけうどん」1620円でないと満足できないようになっているのだろうか。

 

 

平成26年7月6日(日)の夕ご飯は
たこも卵もないけどおでん!+キャベツとなすの塩こうじ漬け+ひじきと大豆の煮付け
デザートは、光秀まんじゅう
今日は安土で一日過ごした。意外に見どころ多いのです。

 

 

 

今夜の軍師官兵衛は、備中高松城の水攻めなのだが、並行して、都では明智光秀が………

本能寺の変については、いろいろなことが言われているけど(自分的には、どうせ物証は出てこないのだし、所詮は光秀の内面の話なんだから、面白ければ=ある程度の納得性があれば、何でもいいんじゃあねぇの、と思ってます。)、この番組では「朝廷黒幕説」で行くのかと思っていたのだが、見るとちょっと違う感じで、「光秀単独犯行説」で、動機は纂奪阻止といったところか。

それはともかく、ちょうど今日、安土城跡に行ってきたのです。セルビア博に出展された復元も見て参りました。光秀が家康に出した料理の模型が展示されていましたよ。味が薄かったんでしょうか?光秀なら、信長の好みはよく知っていたはずなんですが。それはともかく、あのようにすばらしい建物が仮に本能寺の変の後にも焼かれず現在に残っていたならば、確実に世界遺産になっているはず。本当にもったいないことをしたものです。

……と思ってふと手元を見たら、なんと光秀まんじゅうがあるではないですか。昨日、東山を散策していた時に光秀首塚にお参りし、塚をお守りしている「餅寅」さんで光秀まんじゅうを買ったのでした。

そう言えば、昨日行った真如堂には、光秀の部下の斎藤利光(官兵衛では小木茂光が演じている。お福(春日局)の父親)の墓もあったはず。昨日はお参りしなかったけど。

そして、ドラマで光秀がお参りして、歌を詠み、おみくじをひいた愛宕神社には、是非ともお参りしたいと思っています。今月末には千日参りの日があるのだが、残念ながら平日なのですよ。

………などといろいろあれこれとドラマを見ながら考えたのでありました。