母校の広野小学校の遊具がある庭園は「ぽぷらランド」と呼ばれています。
しからばその名前の由来となった、ポプラの木はどこにあるのか?
「今こどもたちと探しているんですよ」
という話題を提供してくださったのはエリ先生。
先日のクラス懇親会のことです。

ポプラの木か・・・
現在は相撲場の周囲に少しあったっけ?

思い出してみるに
私が小学生のころは校舎玄関の両脇に、
それはそれは大きなポプラが1本ずつありました。

まだ現在の校舎に建て替えられる前の
木造校舎だった昭和40年代の話。

ユウのクラス、2年生の同級生の親たちは
年齢では私と2周りくらい離れているので
当然こんな昔話は知る由もありません。

「雲なびくポプラの並木~」と
広野小学校の校歌にも歌われているポプラ。

並木か?
ということはさらに昔はポプラの木がもっとたくさんあった?
ポプラ並木が当時の学校のシンボルだったことは
想像に難くありません。

私が知っている以前のポプラの話を、
親父に訊いてみました。
戦前の記憶です。

ポプラの並木があったそうです。
校舎の裏手に。

当時の校舎は2階建てで南北に伸びる木造校舎。
(この校舎で私も学びました)
学校の正面は東側にあって
1周が100mの小さなグラウンドがあったそうです。

学校の裏手(西側)は田んぼ(苗代)で、
校舎と田んぼの境目に校舎と平行にポプラが植えられていたそうです。
この田んぼが現在のグラウンドになります。

戦後学制が変わり小学校のグラウンドに、中学校の校舎が建てられました。
小学校舎の東側に平行に建てられた中学校舎。

このタイミングで校舎西側の田んぼを造成して
今あるグラウンドが造られたと思います。
今では考えられないことですが、
グラウンドの造成には児童も借出されて、
もっこで京田川から土砂を運んだそうです。

完成したのは昭和20年代半ばでしょうか。
これを機会に小学校の立派な正面玄関がグラウンドのある西側に作られて
その両脇に私の記憶にあるポプラの木が聳えていたわけです。
並木を形成していたほかのポプラはいつ伐られてしまったのでしょうか?

グラウンドの西側入り口には正面の印として、
酒田の眼鏡橋より払い下げられた石を積んだ門柱が今も残っています。

私が小学校に通っていた昭和40年代は、
門柱から学校の正面玄関までグラウンドを横切って
車の轍が出来ていました。
走路のトラック以外は結構濃い草地だったように思います。

中学校は昭和30年代に酒田四中に統合されましたが、
その校舎は引き続き小学校の一部として利用されていました。
当時は正面が西側だったため、
東側の旧中学校の校舎は裏手という印象があります。

登校してきた児童はグラウンドの北端に
昭和29年に出来た(酒田市初)プールの横を通って
校舎北側にあった体操場の昇降口から学校に入りました。

そのころにはすでに現在のぽぷらランドの場所に大きな体育館がありました。
昭和20年代後半の廣野村時代に建てられたと思われ、
この体育館は10年くらい前まで現役でしたね。

 ⇒体育館の思い出(2010.3.7)

余談ですが昭和40年代当時小学校のPTAだった親父たちが、
学校創立90周年に当たり、PTAの会報誌の新しい題名を公募したそうです。
その時に選定された会報誌の題名が「ぽぷら」。
これは当時揮毫してくださった先生の文字もそのままに
現在も受け継がれて続いています。