今や年間750万人の観光客が訪れる小樽。
その観光都市小樽の発展の秘密は『衰退』にあり?
という意味深なテーマで番組は始まりました。

実際タモリ本人も31年前に小樽を訪れたとき、
あるイベントで「小樽には何もない」と発言して、
市民に波紋を広げた(?)にもかかわらず、
訪問した事実すらもう記憶の彼方なのでした。

明治の初め、小樽はニシン漁と石炭の積み出し港として
急速に発展します。

特に石炭運搬のために鉄道が引かれた明治13年以降、
港周辺には倉庫がどんどん作られました。

小樽の倉庫の特徴は、基本は木造建築ながら
外壁に軟石と呼ばれた凝灰岩を採用したこと。

これにより工期の短縮と費用の軽減が図られたばかりではなく、
火事に強い倉庫として、船主から絶大な信用を獲得します。

もともと平地が少ない小樽の地形。
尾根や山を削っては海を埋め立てて、
次々と倉庫や住宅地が作られました。

全国の商人も小樽に注目します。
明治30年には日露戦争の戦果で、樺太との物資の交流も進み
全国4位の貿易港として栄えました。

高台には商家を中心に高級住宅街が広がります。

急激な発展を遂げた小樽の町。
明治初頭3000人の人口が、
明治43年にはその30倍の90000人に膨れ上がりました。

このように経済が潤っていた最盛期の象徴として、
大正13年には市内に銀行が25行も存在していたそうです。

たしか昔の国鉄。
北海道玄関口の函館から札幌までの路線は、
いまは太平洋側の室蘭、苫小牧経由の室蘭本線ですが、
当時は長万部から倶知安、余市そして小樽を経由する
函館本線が主流だったはずですね。

ここまでは発展の話でした。
しかし今回のテーマは衰退。
ここからはその話になります。

戦後小樽の町は急速に衰退していきました。

ニシンは消え、石炭は石油に代わり、
そして海運は苫小牧、太平洋ルートが主流になっていきます。

中央銀行は次々と撤退。(今や地方銀行が3行のみ)
運河はゴミ捨て場と化して、町はすっかり寂れてしまいました。

数多く作られた倉庫や銀行は、目的を失った空き家として
積極的に「残した」のではなく、結果的に「残ってしまった」のでした。

しかしこれら倉庫や銀行など残された資源が、
あることをきっかけに観光地として再利用されようとは・・・

そのあること。
それは昭和40年に持ち上がった、運河の埋め立て案でした。
臭くて汚い運河は埋めて道路にしてしまおう、
というわけです。

しかしそれには(小樽らしさが失われてしまう)
と市民は猛反発しました。
これは国をも巻き込む大論争になったといいます。

結局、運河を半分だけ埋める折衷案でこの問題は決着。
運河は半分だけ埋め立てられて、
その縁には新たに遊歩道が整備されました。

昭和61年に完成したこの遊歩道は、
やがて大きな観光スポットになります。

そうです。この遊歩道こそ、
観光地小樽としての再出発の原点となったのでした。

観光地小樽発展の秘密は『衰退』にあり。

かつての国内屈指の貿易港の急激な衰退が、
のちに観光資源となる倉庫や銀行などの建物を
そっくり後世に残した。

いやいや歴史とは実に面白いものですね。

私は小樽を2、3回訪れたことがあります。
ちょうど港外れに裕次郎記念館が出来た頃で、
運河沿いの倉庫は次々とお洒落な店舗に生まれ変わっていました。

庄内に所縁のある青山留吉のニシン御殿にも行ったことがあります。
20数年前、初めて駅伝を走る直前だったので、
練習がてら駅前から海岸線を走って北上しました。

戻りは山に向かって半島を横断し、
小樽市内の南奥から海岸目指して、山を駆け下りた記憶があります。

運河に倉庫群に旧銀行などの建築物。
また小樽に行ってみたくなりましたよ。
札幌から近いのも観光地としては有利ですね。