黒森歌舞伎正月公演は、

2日目も比較的穏やかなお天気に恵まれました。

いつもより観客が多かったかも。


演目は「加賀見山旧錦絵」

かがみやまきょうのにしきえ

21年ぶりの上演だそうです。



舞台上は全員女性でした。

この演目は女性版忠臣蔵とも言われるもので、

嫉妬と陰謀が渦巻く復讐劇なのだとか。

これは面白い、

歌舞伎版火曜サスペンス劇場と言ってところ 

なのでしょうか?




 

庄内観光物産館どんやにて煮魚定食

 

若い頃から肉が好きで、

とにかく肉、肉、にくー!の人生を歩んで来ましたが、

ここに来て嗜好が少々変わってまいりました。

 

魚が食べたいんです!

魚が食べたいなー、と思うようになったんです。

元からお鮨は好きですよ。

今まであまり好まなかった焼き魚や煮魚が食べたくなった。

食堂でも魚のメニューがあったら

そちらに気が行くようになりましたね。

 

別に肉が嫌いになったわけではありません。

焼肉、カツ丼、今でも大好物です。

 

でも肉ばかり続くと、今度は魚を・・

と自然と体と気持ちが欲するようになってきました。

 

それはなぜか?

加齢による味覚の変化もあるのでしょうが、

義弟のタカシの影響が多分にあります。

 

彼には美味しい魚を提供する飲食業で

長年働いてきたキャリアがあります。

 

魚を捌くのはもちろん、

部位別に美味しくいただく食べ方もレクチャーしてくれます。

釣り好きのユキさんからもらったヒラマサなんか、

刺身はもちろん、兜焼きに始まって

アラ汁など全身をくまなく頂きました!

 

最近はスーパーに行っても、

以前は素通りしていた鮮魚コーナーも

じっくり品定めするようになりました。

 

そして余りいける口ではないのですが、

魚には、日本酒が合う!

 

海に囲まれた日本列島、

全国どこに行っても旨い魚があります!

旨い地酒もあります!

 

魚を好きになったら、

食の楽しみがさらにまた広がりますねー

 

ぐっと春めいた2月15日、希望ホールで

清水ミチコさんのコンサートが開催されました!

 

オープニングは某都知事と某総理との掛け合い動画。

一気にみっちゃんワールドに引き込まれていきます。

 

いいとものレギュラーから始まったキャリアが来年で40周年。

ますますパワフルで適当に毒がありエネルギッシュなステージでしたよ!

 

バラエティーに富んだ前半から一転、

後半はギタリストの高田漣さんをゲストに迎え、

実弟のICHIROさんがベースやピアノを担当、

(岐阜高山でカフェ経営、ファミリ―ヒストリーにも登場されましたね)

聴かせる音楽会に。

 

ボーカルには、

ユミソさんや森山良子さん、吉田日出子さんなどが次々と降臨。

嬉しかったのが、ライディーン、中国女、東風のYMOメドレー。

当然、東風は矢野顕子さんのピアノとボーカルです。

 

大盛り上がりであっという間の2時間、

アンコールは昭和歌謡史メドレーでした!

来年の40周年記念ライブが今から楽しみです!

 

 

 

庄内町響ホールにラジオ寄席「真打ち競演」の

公開録音に行ってきましたよ!

会場20分前にホールに着きましたが、

すでに開場待ちの長い列が出来ていました。

 

さすがNHK、プログラムはありませんが、

番宣用のグッズをいろいろ頂きました!

 

会場は満席。

600席ある響ホール、

300枚の入場整理券が配布されたのでしょうか。

(一枚で2名入場可能)

 

開演に先立ち、主催者を代表して庄内町副町長の挨拶。

今回のイベントは合併20周年の記念事業の一環

として招致、開催されたようです。

 

続いてNHK山形放送局局長の中谷文彦アナが挨拶。

山形局勤務4度目の中谷さんすごい人気で拍手が多い。

 

ちなみに新人時代やはりこの「真打ち競演」の司会を

務めたことがあるそうです。

「アナウンサー成り立て2年目でこの役目、

 もう心臓バクバクでした(笑)」

舞台袖でスタンバイしている後輩の、

戸崎悠斗アナウンサーにプレッシャーをかけます。

 

NHK ONEとらじるらじるの宣伝も忘れません。

今回収録されるこの番組は今月22日と28日の

2週に渡って放送されます。

そして放送後も1週間は聞き逃し配信で楽しめます。

 

「つまり今日お集まり頂きました皆様は、

 今夜これから大いに笑って楽しんで、

 22日と28日のラジオ放送で、

 もう一度大いに笑って楽しんで、

 さらにそのあと1週間らじるらじるで

 大いに笑って楽しみ続けることが出来ます(笑)」

 

そうだ―いいぞー!

今回の収録、出演者は真打ちばかりですが、

いい前座?となりました。

 

本番前に番組ディレクタ―(と思われる)

が出てきて諸注意を。

 

「まず携帯の電源はお切りください。

 これから番組放送2回分を続けて収録します。

 演者は各3組で合計6組。

 中入り休憩はありません。

 したがってトイレはタイミングを見計らって適宜に。

 番組は観客皆様の拍手と笑いが命です。

 どうぞ大いに笑って盛大な拍手で盛り上げてください」

と片手を大きく振り回して拍手の練習を。

 

パチパチパチ!

 

さあいよいよ本番です。

戸崎アナウンサーも登場しました。

「(先ほど挨拶で後輩にエールを送った)

 中谷局長が客席から見上げているので、

 緊張します。心臓バクバクです(笑)」

 

(がんばれー)

観客席から応援の温かい拍手が起こります。

 

舞台中央には高座と演台が。

左袖に進行役の戸崎アナが立ちます。

そのすぐ脇にディレクターが控えています。

 

「本番いきまーす!」

しばし静寂

 

お囃子

 

ディレクターの合図

 

「真打ち競演」

拍手(いっそう力強く)

 

「みなさんこんにちは、ご機嫌いかがお過ごしでしょうか。

 今日の真打ち競演は、山形県庄内町の文化創造館

 響ホールからお送りいたします。

 

 山形県庄内町は・・・

 (町の紹介)

 

 今日は、

 ロケット団お二人の漫才、

 玉川大福さんの浪曲、

 隅田川馬石さんの落語

 でお楽しみいただきましょう。

 

 それではロケット団のお二人どうぞ!」

 

パチパチパチ!

 

このように始まりましたラジオ収録。

ロケット団

玉川大福

隅田川馬石

のお三組で1本目。

 

ここで休憩は入らず続けて2本目の収録。

林家つる子

テツ&トモ

入船亭扇遊

 

真打ちの芸を6組連続で聴いてもう大満足。

お腹いっぱいになりました!

もういつもよりたくさん?拍手もしましたよ!

 

言うまでもなくロケット団の三浦さんと、

テツ&トモのトモさんは地元山形県出身。

皆さん、地元ネタも散りばめながら舞台を

務めてくださいました。

 

初めてのラジオ番組の公開収録。

裏話も聴けて面白かった!

 

さあ真打ちの皆さんのネタとパフォーマンスは、

どうぞラジオでお楽しみください!

 

NHK第1「真打ち競演」の放送は、

2月22日(土)午後1時5分~1時55分

2月28日(土)午後1時5分~1時55分

ですよ!

 

どうぞお楽しみに!

 

 

 

 

 

 

東ソーアリーナに行く前に寄った、

おしゃれなレストランESCARGOT 蔵王みはらしの丘店。

 

ベーカリーと焼き菓子のお店も併設していて

朝からとても賑わっていました。

 

吹き抜けの気持ちのいい店内。

立地がみはらしの丘だけあって、

高台から市内を望めます。

 

 

メインにそれぞれスープカレーやドリア、パスタを頼んで、

前菜をチョイスします。

 

マルゲリータも追加

 

デザートも美味しい

 

なかなかいいお店を見つけました!

 

ここから東ソーアリーナへは10分くらいです。


2月恒例の東ソーアリーナ、

柳家三三独演会に行ってきました!


雪のない山形市内はいつになく寒くない。

師匠は朝、防寒具なしで霞城公園の土手を、

一万歩も散歩したそうですよ。


古典落語の名作「芝浜」をたっぷりと

聴かせていただきました。

とても幸せな時間でした!

娘が「落語もいいね!」と言ってくれたのがまた嬉しい!


三三師匠、来月に新刊本を出す予定なんですね。

これもまた楽しみです!

「さらば青春」

「俺たちの旅」

「白い一日」

「めまい」などなど

50年前、筆者が中学生の頃、

カセットに録音した小椋佳をよく聴いていましたねー。

 

「俺たちの旅」が主題歌で、

中村雅俊が主演した青春ドラマは今年、

50年後の続編映画として劇場公開されています。

 

小椋佳は東京大学法学部を卒業後、

銀行マンとしての道を歩み始めます。

音楽活動に関しては当初、

銀行から顔出しを禁止されていました。

 

実際デビューから5年間はレコードジャケットに、

本人の顔出しは一切されていません。

 

しかし1972年、3thアルバムの「彷徨」が

100万枚のセールスを記録、

75年に楽曲提供した布施明の

「シクラメンのかほり」が大ヒットすると、

顔出ししない小椋佳に不満の声が大きくなっていきます。

もう「謎のシンガー」ではいられなくなったのです。

 

そこで覚悟を決めて、50年前の1976年

NHKホールで初めてのコンサートを行いました。

 

3300人の客席数に対してコンサート応募数が

なんと11万通!

チケットは争奪戦となりました。

 

初めての顔出し、そして全く初めてのソロコンサート、

緊張で歌詞を間違える場面もありました。

 

「初めまして小椋佳です。

 僕は顔とかスタイルに全然自信がないので、

 最初、覆面をさせてくれと言ったんです」笑

 

コンサートはテレビ中継もされ、

視聴率が30%を超えるという伝説の一夜になりました。

 

筆者もまだビデオがない時代だったので、

中継の音源だけテレビからカセットに録った記憶があります。

 

小椋佳の曲作りは、日記にメロディーをつけて

歌うことから始まります。

楽器が出来ないから歌って、それをテープレコーダーに録る。

この作曲方法は今でも同じだそうです。

 

小椋佳は今でもステージに立ち続けていますが、

古希を迎えた年に一度けじめを付けたいと

生前葬のようなコンサートを行っています。

実質引退かと思われましたが、その後引退はしていません。

 

「引退した覚えはない。引退をするには、

 デビューしていなきゃならないのだけれども、

 そもそもデビューした覚えがない」

と今さらながら振り返ります。

 

これはどういうことかと言いますと、

LPデビューした年は、仕事の関係で

アメリカに留学していたために、

レコードデビューしたことを本人が知らなかったのだそうです。

 

そのころの面白い逸話があります。

当初レコード会社のディレクターは、

小椋佳とは15~16歳の美少年に違いない、

と思いながら会いに来たそうです。

 

それなのに会ったとたん一言「やめるわ!」笑

ただ楽曲を聴いたディレクターは言いました。

「君はいらないけど、その楽曲ははちょうだい」

それらの曲を歌わせるシンガーを探して、

白羽の矢が立ったのが、井上陽水でした。

ただ陽水は曲づくりも出来たため、

自作の歌で小椋より一年早くデビューして売れていきます。

 

本人は知らなかったレコードデビュー。

それがじわりじわりと売れていきます。

そして3枚目のアルバムがミリオンセラーに

なったのは前述した通りです。

 

しかしここで問題が発生しました。

銀行員としての本業があるにもかかわらず、

歌手という活動が「副業禁止」という

サラリーマンの規定に引っかかってきたのです。

ついに週刊誌沙汰になってしまいました。

 

銀行の上司に言われます。

 

「銀行員としての栄達を望むのなら、

 歌はやめたほうがいい」

 

まだ若くて血気盛んだった小椋は抵抗します。

 

「僕の歌づくりは日記なんです。

 部長、銀行員を続けるなら日記をつけるな、

 って言えますか?」

 

小椋佳の日記は、銀行員としての仕事から生まれる

日常や感情を表したものでした。

小椋にとっての歌づくりに欠かせない日記は、

銀行マンとしての仕事がベースにあったのです。

 

「分かった、歌づくりは認める。

 その代わり人前に出るのはやめなさい」

 

しかしやがて人気の高まりから、

銀行側からコンサートの出演を打診されるようになりました。

 

小椋は50歳目前に銀行を退職、

その後音楽活動に専念することになります。

 

小椋佳のコンサートには欠かせない

大事なアイテムがあります。

 

コーラです。

 

アメリカ留学中に初めて飲んだコーラ。

「こんな美味いものがあるのか!」

 

それ以降50年間欠かさず飲み続けています。

2リットルのペットボトル6本が、

1週間で無くなると言いますから

相当の愛好家です。

 

おかげで歯が弱くなり毎週のように欠けていく。

医者からは、コーラやめなさいと言われるが、

「ぜったいやめません!」と断言します。

「コーラと煙草は必需品」なのだそうです。

 

歌うことは生きるための一つの種。

80歳を越えた現在も、ピアノに、

フランス語に、学ぶことには貪欲です。

「学びは人生最高の楽しみ!」

 

小椋佳の55年の音楽人生はまだまだ現在進行中。

なんとも素敵な人生ですよね!

 

(大泉洋との掛け合いがとても面白かった、

 NHK「SONGS」より)

 

 

 

 

先月27日、朱鞠内滞在の最終日、

和解と平和の森 笹の墓標強制労働博物館を訪れました。

 

戦時中、雨竜第一ダムの建設で行われた強制労働で、

多くの日本人や朝鮮人が命を落としました。
笹の墓標強制労働博物館はこうした歴史を後世に伝える、

森の中に建つ小さな博物館です。

館長の矢嶋さんが案内してくださいました。

 

歴史に埋もれかけていた強制労働という事実を明らかするために、

あえて施設名に「強制労働」という文言を入れています。

 

 

笹の下に眠っていた遺骨を回収し、

朝鮮半島の遺族に返還するという活動を通して、

その後の和解と平和を願い発信する拠点となっています。

 

そもそも北海道は開拓という名のもとに、

先住民族であるアイヌを侵略、駆逐しながら、

和人が支配を拡大していった歴史がありました。

 

そのときのアイヌ政策が、のちの朝鮮や台湾の

植民地政策の原型というべきものがみられる。

と書いてあります。

 

雨竜第一ダム(朱鞠内湖)に限らず、

厳しい開拓期の北海道では各地で強制労働が行われてきました。

 

強制労働とは囚人や甘言を弄して集めた労働者をタコ部屋に住まわせ、

非人道的な扱いをしながら過酷な労働を課すものです。

 

集められた労働者は国内のみならず、

戦前植民地だった朝鮮からも送られてきました。

 

当時の労働の記録写真。

上のように、もっこを二人で横並びで担ぐやり方は

朝鮮半島に多いやり方だそうです。

 

ダム建設は危険を伴う重労働。

図らずも命を落としてしまった労働者たちは、

人間として真っ当に葬られたのでしょうか。

 

犠牲者として正式にカウントされていない労働者も

決して少なくなかったと言われています。

 

1970年代、民衆史掘り起こし運動が始まりました。

囚人、タコ部屋労働、アイヌなど先住民族をはじめ、

政治的抵抗者や女性、中国人や朝鮮人強制労働について記録し、

功績を正当に評価したり犠牲者を追悼するなど

公の歴史から見落とされがちな歴史に光を当ててきました。

​1976年深川市を中心に結成された「空知民衆史講座」もその一つです。

 

朱鞠内の光顕寺に安置されていた、

タコ部屋労働者や朝鮮人強制動員犠牲者の位牌。

中央左手の位牌には「無縁三名 殺された朝鮮人」

という文字が見えます。

 

空知民衆史講座の人たちは地元住民と協力し、

1980年から4年にわたって

朱鞠内の共同墓地のはずれで16名の遺骨を発掘しました。

うっそうと生い茂った笹がまるで墓標のようでした。

 

そして埋火葬認可証に記載された情報をもとに、

空知民衆講座では日本や韓国で遺族を探し出し

遺骨の返還にも取り組んできました。

それらの活動内容も詳しく展示されています。

 

これらの活動には浄土真宗の僧侶たちも深くかかわっています。

今回、朱鞠内を訪ねるにあたり、

厚真のアベちゃんからは、ここ

笹の墓標強制労働博物館の存在を聞かされていました。

 

 

笹の墓標強制労働博物館の開館を機に

空知民衆史講座は解散しまして、

その活動は東アジア市民ネットワークに引き継がれています。

 

博物館の展示物がハングルで紹介されているように、

現在は人的な交流活動が実施されているようです。

 

 

強制労働の果てに生涯を閉じた無縁仏を

供養していた浄土真宗寺院光顕寺。

 

博物館の前身は1995年から5年間は、

無人寺となったその光顕寺にありました。

現在の博物館の裏手奥です。

 

6年前に雪で倒壊してしまったため、

世界各国から集まった寄付金を基に、

現在の博物館として再生、開館したということでした。

 

歴史の闇に葬り去られるところだった強制労働の事実。

その現実は北海道のみならず、国内どこでも

そしてこの山形でもダムや道路、橋や隧道の工事現場で

行われてきたのかも知れません。

冬季五輪ミラノ・コルティナ大会が開幕しました。

開会式朝5時前に起きて観ましたよ!

洗練されたおしゃれなパフォーマンスが楽しめました。

ヤマザキマリさんの解説も良かった。

イタリア行ってみたいなあ!

 

今大会楽しみな競技はいろいろありますが、

ベテランのスノーボードパラレル大回転の竹内智香選手と、

ノルディック複合の渡部暁斗選手に注目しています。

ベストを尽くして頑張ってほしいですね!


立春に合わせたように気温が上がり、

ここ二日間でかなり雪が減りました。

田んぼの株も見えてきたぞ。


雨の音を聞いたのも久しぶりです。


このタイミングで満杯だった籾殻を運んでもらい、

また必要な分、籾摺り出来ましたよ!


十里塚のお客さんから頂いた旬の野菜あさつき。

庄内では「きもど」と言います。

レシピを見ながら作った酢味噌もうめー


恵方巻にはエビフライが入っていました!