嫁と子供らは晩飯に出かけ
自分は整骨院で治癒して
整骨院終わりにお迎えに行く予定でしたが
お迎えするまで時間もあり
家帰ってまた出てくのは…
非常に魅力感じられない
丁度、本2冊を持っていたこともあり
(常に本を持ち歩こうという意識!←ここで炸裂
初の一人コメダなうってやりました

今までの自分であればコンビニで週刊誌立ち読み無双するか
車内でスマホいじくりまわすか
家帰って待つ。
読書にハマった自分…変わったもんだ
本を読める環境を求めて
たどり着いたのが、コメダ(お迎え近くってのもあり
アイスカフェオレを飲みながら、Let's読書
23冊目
それではいつもの如く
印象に残った言葉、文章を綴ります
(ネタバレなので知りたくない人は内容スルー
ナンバ走り/矢野竜彦,金田伸夫

古武術「捻らず」「うねらず」「踏ん張らず」の基本動作を応用。
体を捻らず無駄なエネルギーを使わない「ナンバ走り」
左右の手足を同時に出す
ナンバ走りには体幹の捻れがなく、走る為の全体の流れをスムーズに出来るという利点がある。見た目には腕を振っていないが、体の中で振っているという感じですね。一方、左右交互型の走りになると、体の捻れが生じ、それがまた全体の流れの中にブレーキをかけることになる。腕を振ることで、止まる瞬間を作ってしまうわけです。そういう意味では、ナンバ走りは体の動きを止めない走りということになり、スタミナ省エネにも繋がる。
末次慎吾(偏平足
肩の水平ラインを極力保ちつつ、肘から先を体幹の後方で振るのが特徴。
膝抜き(外す
漠然と立っているとき、背後からふいに膝を押されるとどうなるだろうか。膝がカクンと抜け、尻餅をつくような格好になるだろう。「膝を抜く」とは、ちょうどそんな感覚
モーグル競技を思い出してほしい。「膝の抜き」によって、瞬間的な体勢の入替を行い、ターンを容易にしているのが理解できる。
「シャトルラン」の意図するものとは、前進エネルギーをいかに他の方向へ転化するか。
競泳のターンは反射板を利用することで前進エネルギーの逆方向への変換を容易にすることが出来る。一方、反射板を利用できない他の競技になると、スムーズな逆方向への切り返しが困難になり、筋力への依存という問題を生じてしまう。方法論の一つは、宙で体を入れ替えること。すなわち、走ってきたエネルギーを空中で一端集約し、次に床を反射板代わりにすることで、逆走エネルギーへと変換してしまう方法。
反射板の代用として、床を利用するという方法。尻餅をつくように体を反対方向へ倒しながら、片手を床に添えて逆走エネルギーを作りだしてしまう方法。あるいは、膝を抜いて体を入れ替えながら、片手を床に添えると言い換えてもいいかもしれない。
「楽な立ち方」両足が少しだけ開いてなければならない。次に両肩が少し前に出て、力が抜けている状態であるべきだ。その際、体重は爪先方向へと少しだけかける。そうすると、骨盤が前傾し、上半身を楽に維持することが出来る。
気の遠くなるようなノルマを耐えていくうち、まず最初に「この状態を続けていくのは、体力的に無理かもしれない」と体が模索を始める。次に「どうすればより楽に動くことが出来るのか」を朦朧とした意識が考え出す。この体と思考の相互の模索過程において、やがて妙なことが起こってくるのかもしれない。気が付くと、体が「踏ん張る」「うねる」「捻る」の要素を放棄し、流れるように動いているのである・つまり「地獄の苦しみ」の中から効率的な身体運用方が産声をあげるプロセスがここにある。
「根性主義」や「しごき」は確かに故障者や落伍者を作り出す。だが「犠牲者」はいるものの、あながち否定するべきではないのかもしれない。
以上
膝を抜くとか…膝怪我した自分には悍ましいフレーズ
こんなこと出来るのか?
読むと実際にやるでは全然違うし
一概にこれが全て良いかは分からないけど
こんな考え方があるのかと参考になりました(写真付で
極限の場に身を置く…てのも分かる気がするし
そして何より言えること
それは…
コメダでの読書は…とても良し
家ではあれしようこれしようの誘惑が多いけど
コメダでの環境は読書するかアイスカフェオレ飲むかの2択
ナンバ走りの本も1時間ちょいとで読了したけど
家ではもっと時間を要してたはず
なんならもっと長い時間入れるし、読んでられる
なので時間が空いたときは
本片手に、コメダへまた行ってみよう…
知識蓄え中からの投稿