読書の質を高める為に?
前回にも似たような本読みましたが
2989蹴 人生で大切なことは、すべて「書店」で買える。
今回も本による本を説く
タイトルはそのままの「読書力」
★14冊目
いつもの如く印象に残った言葉、文章を綴ります
(ネタバレなので知りたくない人は内容スルー
読書力/齋藤孝

考えるときに、読書によって培われた思考力が活かされる。
読書力があることの基準を文庫系百冊、新書系五十冊を読んだことにおいたが、なぜ文庫系百冊なのか。それは読書が「技」として質的な変化を起こすのが、およそ百冊単位だからだ。大きな寒天から見た時に、質的な違いがはっきりと表れる冊数となると、十冊、二十冊ではなく、百冊ということになる。
読書はまさに「継続は力なり」がリアリティをもつ世界だ。
「本はなぜ読まなければいけないのか」という問いに対する私の答えは、まず何よりも「自分をつくる最良の方法だからだ」ということだ。
読書の幅が狭いと、一つのものを絶対視するようになる。教養があるということは、幅広い読書をし、総合的な判断を下すことが出来る。
矛盾しあう複雑なものを心の中に共存させること。読書で培われるものは、この複雑さの共存だ。自己が一枚岩ならば壊れやすい。しかし、複雑さを共存させながら徐々にらせん状にレベルアップしていく。それは強靭な自己となる。
「一人になる」時間の楽しさを知る。一人の静かな時間は、人を育てる。
人と楽しくコミュニケーションをする中でももちろん人間性は養われるが、一人きりになって静かに自分と向き合う時間も、自己形成には必要だ。しかし読書は、一定の精神の緊張を伴う。この程度の緊張感が充実感を生む。読書は一人のようで一人ではない。本を書いている人との二人の時間である。著者は目の前にいるわけではないので、必要以上にプレッシャーはない。優れた人の選び抜かれた言葉を、自分ひとりで味わう瞬間。
言葉の理解がすべてになるので、緊張感を保たなければ読書は続けられない。自分から積極的に意味を理解しようとする姿勢がなければ、読書はならない。読書の習慣は、人に対して積極的に向かう鎌瀬を培うものだ。
読書の場合は、優れた相手との出会いがあり、細かな思考内容までが自分の内側に入ってくる。自分自身の内側だけを見つめているのでは到底見えてこない世界に開かれるのが読書のおもしろさだ。
話し言葉の種類は限られている。日常を過ごすだけならそれほど難しい言葉は必要ない。しかし、その日常の話し言葉だけで思考しようとすれば、どうしても思考自体が単純になってしまう。表現する言葉が単純であれば、思考の内容も単純になってしまう。逆に色々な言葉を知っていることによって、感情や思考自体が複雑で繊密なものになっていく。言葉を知る為には、読書は最良の方法である。
辛い経験を乗り越える。
単純に慰められたり、優越感を持ったりといった感情ではない。むしろ彼らの大きな経験の中に自分の経験を落とし込み、自分の経験の意味を昇華させる。
本を読むのには、場所を時々変えてみるのは意味がある。特に外で読んだ本は、後から思い返しても楽しい経験になる。
読んだらすぐに人に話すようにすれば、記憶は定着しやすい。
本は必ずしも全部読まなければいけないというものではない。ほんの一行でも一生の宝物になることもある。全部読み切らなければいけないと思うから、読書が進まなくなる。印象に残る一文を見出すという意識で読むのも、読書を進みやすくするコツだ。
以上
ここには書かなかったけど
「気になる文にマーカーやしるしをつける」…とあったけど
どうしてもそれは自分には出来ない(勿体なさからか
だけどマーカーをしていることにより
より自分の本が自分の本となり愛着もわくし
サラっと見たいときにはピンポイントで重要な文を見つけられる
また数年後に本を見返した時に
当時の自分はこんなとこにマーカー、しるしをつけていたのか
しかしこの時には違う文が気になったりと
新しい文との出会いもある、はず
…良いことづくしじゃん
…悪いことは特にないよな
…じゃあ…引くか?しるすか?
…マーカー…? or 附箋?
…検討します。(結局
一人の時間を楽しさを知ろうからの投稿