明治の人物
①板垣退助
土佐藩武士出身
大久保利通や西郷隆盛と一緒に幕府を倒すため同盟する。
征韓論(せいかんろん、武力で朝鮮を開国する)を(西郷隆盛といっしょに)指示するが、受け入れられず、明治政府を去る。
「民撰議院設立建白書(みんせんぎいんせつりつけんぱくしょ)」を政府に提出する。
演説で襲われ「板垣死すとも自由は死せず」という言葉を残す「板垣退助が死んだとしても、日本国民が自由であることに変わりはない」という意味。死にはしなかった。
大隈重信と憲政党(けんせいとう)を作り隈板内閣(わいはんないかく)に参加するが失敗。
63歳で政治家を引退。(82歳没)
〇決まった藩の出身者のみが政治を行っていることに疑問を感じ、1874年に、選挙で選んだ議員が参加する議会の設置を求めた「民撰議院設立建白書」(みんせんぎいんせつりつけんぱくしょ)を政府に出しました。この建白書が、自由民権運動の始まりだと言われています。
選挙で選んだ議員が国会で政治をするという政治の考え方の初めりが板垣退助の自由民権運動なのです。
②西郷隆盛
薩摩藩出身
幼なじみの大久保利通と一緒に優れたリーダーぶりを発揮。
長州藩と戦って勝った(禁門の変)が、一緒に幕府を倒そうと薩長同盟を結ぶ。
仲立ちをしたのは坂本龍馬。
幕府軍の勝海舟との話し合いにより江戸城を開城させた。
征韓論で自ら交渉役となって平和的に解決使用とするが失敗し、明治政府を去る。
薩摩に帰って、明治政府から刀や米という給料も取り上げられた武士達の不満を抑えるため、若者を私学校で育てていたが、抑えきれず、若者達の運命に寄り添う形で西南戦争をおこし自害した。(49歳没)
③大久保利通
薩摩藩出身
幼なじみの西郷隆盛と一緒になって、版籍奉還、廃藩置県、(後で学制、地租改正、徴兵制も)を実施、伊藤博文などと一緒に「岩倉使節団」としてアメリカヨーロッパも見学、外国を見てきた立場から「征韓論」に反対し、西郷隆盛を退ける。
西南戦争で政府軍の指揮し、西郷隆盛と対立。はじめ関係していないと思っていた西郷隆盛が加わっていたので、会談を希望したが政府が許可しなかった。西郷隆盛が亡くなるのを知ると我を失った。その1年後石川県士族に暗殺される。(48歳没)。最後まで、西郷隆盛を尊敬し、信頼していた。
④坂本竜馬
土佐出身
社交的な性格と商売のセンスがピカイチ。
日本ではじめての社長とも。
江戸幕府の偉い人だった勝海舟(かつかいしゅう)の弟子となる。
船の操作を習い、亀山社中(かめやましゃちゅう、後に海援隊)という会社を作る。
寺田屋で幕府の役人に襲撃されるが、恋人・お龍の機転で難を逃れる。
①江戸幕府に攻撃されていた長州藩を救うように薩摩藩に提案し、薩長同盟を結ばせた。
②同じ土佐藩のえらいさんの後藤象二郎から15代将軍徳川慶喜に大政奉還を提案させて、これを受け入れさせた。
薩摩、さら長州は幕府と仲が悪く、土佐藩は幕府と仲が良かった(土佐藩が幕府に恩があり逆らえなかった。)ので、提案できた。
③船の中で考えた8項目という「船中八策」が明治政府の基本方針である「五箇条の御誓文」となった。(木戸孝允が仕上げる。)
西郷隆盛に政治家を勧められるが、「会社を大きくしたい」と言って断る。
京都で暗殺される。(31歳没)。
⑤勝海舟
江戸出身
蘭学が得意で、江戸幕府に目をかけられる。
神戸海軍操練所の設立で坂本龍馬が弟子に。
戊辰戦争(幕府軍VS新政府軍)の時、徳川慶喜の命令で、西郷隆盛と和平交渉し、「江戸城の無血開城」を実現。被害者0。
日本海軍を発展させ、日清戦争、日露戦争の勝利の元となっている。
明治政府からスカウトされ、明治政府の政治家になる。
昔の上司の徳川慶喜とは仲が悪かったが、徳川慶喜や、幕府の家臣を許してもらうよう明治政府に掛け合う。徳川慶喜の子供と勝海舟の孫娘と結婚させ、仲直り。
⑥徳川慶喜
第十五代将軍日本の最後の将軍。
家康の再来といわれるほど賢く。(賢すぎることもあった)
長男でなかったので、跡継ぎの有力候補なるも、
井伊直弼の安政の大獄にて失脚する。
禁門の変で幕府側の軍を指揮し、勝利し、徳川十五代将軍になる。
薩摩藩や長州藩が江戸に攻めてきたら大変なので、
政権を天皇に返す「大政奉還」を行ったため、薩長軍は引き下がる。
でも、そのまま幕府が政治を行おうとしてたので、戊辰戦争が起こるが、
江戸城を明治政府に明け渡し、江戸の町を戦争に巻き込ませないようにした。
それから、76歳まで趣味に没頭した生活を送った。
⑥吉田松陰
長州藩出身
叔父さんの松下村塾(しょうかそんじゅく)で学び、9歳で学校の先生になるほど賢かった。
ぺーリーの黒船に忍び込んで牢屋入り。後に解放されたが、「安政の大獄」で処刑される(29歳)までの1年間で、伊藤博文や山県有朋、高杉晋作を教える。
⑦伊藤博文
周防国出身
試験に出る人物№1
日本で初めての首相
松下村塾で吉田松陰から「人の間をとりもつのが上手だから、政治の才能がある」と褒められる。
清がアヘン戦争でイギリスに負け、日本も侵略される不安から高杉晋作と一緒にイギリス公使館(建設中で人はいない)を焼き討ち。
暗殺された大久保利通の跡をつぎ、内務卿になる。
44歳(いまだ最年少記録)で初代内閣総理大臣になり、5代、7代、10代も就任。
英語が話せた。
大日本帝国憲法をつくり、新しい役職は自ら就任。
日清戦争で勝利。
貨幣法(円を定めた)、殖産興業を推進、鉄道をしいて、教育令を定める。
中国のハルビン駅で韓国人青年に暗殺される。(68歳)
⑧大隈重信
肥前出身
英語を学び大久保利通に認められ、通信設備、鉄道を整え、地租改正の改革も行う。
開拓使の財産で伊藤博文と対立し、政府から追放。
立憲改進党を作るが3年で脱退。
教育によって理想を実現しようと早稲田大学を開く。
外務大臣となり不平等条約改正を行うものの、襲われ大臣を辞任。
10年後に板垣退助と協力して憲政党をつくり、総理大臣になる。
第一次世界大戦に参加する。
85歳で亡くなる。
⑨福沢諭吉
豊後国中津(大坂・堂島出生)出身
1万円の人。慶應義塾大学の創設者。
幕府お抱えの翻訳者。
木戸孝允と学制を制定。
『学問のすすめ』の著者。
中央銀行の概念や複式簿記、保険制度などを日本に導入。
⑩高杉晋作
長州出身
吉田松陰の松下村塾に通う。
イギリスの公使館の焼き討ちを行う。
下関戦争でアメリカ、フランスに負け交渉する。
奇兵隊を結成する。
第一次(負け)二次(勝ち)長州征伐に参加する。
27歳、肺結核で亡くなる。
奇兵隊は庶民も参加していて、武士でなくても世の中を変えられるという想いがあった。
⑪木戸孝允
長州(長門)出身
吉田松陰からの兵法を学ぶ。
長州藩を「尊王攘夷」に。
池田屋事件、禁門の変、第一次長州征伐の危機を乗り越え、薩長同盟を結ぶ。
版籍奉還や廃藩置県を行う。
「五箇条の御誓文」を訂正。
44歳、西南戦争の最中に亡くなる。
幕府から指名手配中だったので、桂小五郎から木戸(孝允)と改名。
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そ、そうか。。。
大日本帝国憲法
伊藤博文がドイツのワイマール憲法を参考に1889年発布。
法律の範囲内で自由←ポイント
→法律によって、みんなの自由を奪うこともできるよ。
日清戦争
始める前から日本が勝って、清(中国)が負けるとお互い分かっていた。なので、中国は開戦すぐに降伏条件を決めるために日本へ使者を送ったんだけど、日本がもっと搾り取れると考えて、使者を無視したんだ。せこいねー^^
勝ったすぐにロシアがドイツとフランスを連れて、日本が獲った遼東(リャオトン)半島は返しなさいと言ってきた。日本は渋々飲んだのよね。(ドイツとフランスはロシアが日本や中国に目が行ってくれれば好都合と賛成。日本はドイツとフランスとロシアが合わさると強いので反対できない。)
でも、この恨みが次の戦争に繋がっていった。
日露戦争
喧嘩したら、お互いで喧嘩を終わらせることはできないよね。君のここが悪くて、わたしのここが悪かった。だから、つぎから、こういうルールをお互い守って仲良くしていこう!なんて言える?たいてい、先生とか親が仲介しなきゃだめだよね。
そう。アメリカのルーズベルト大統領が仲裁したんだ。アメリカのポーツマスという軍港に日本とロシアを呼んでね。
ロシアは負けたから色々条件は飲むけど、お金は絶対払いません!ときた。ロシアうまいねぇ^^でも、日本は鉄道を手に入れ、整備して、南満州鉄道を作った。これが次の戦争に繋がっていくのよね。
第一次世界大戦では日本から遠いところで戦争してて、その戦争関連の輸出で大儲け。ロシアに出兵するタイミングで商人が米を買い占めたため、米騒動が起きた。調子にのった寺内正毅首相が総辞職した。
そして、原敬首相が誕生し、政党内閣を実現した。これは貴族院からでなく、庶民からの議員で政策が同じ議員が集まった初めての政党政治だといえる。
加藤高明首相が普通選挙法を公布したんだけど、お金持ちでない人も政治に参加するのだから、「財産は平等に分けよう!」という社会主義思想が広まると困るので、これらの運動、暴動を規制するために「治安維持法」も同時に交付した。この良かれと思って交付した「治安維持法」が後々、太平洋戦争を引き起こす「悪法」になっていきます。
第二次世界大戦
1923年関東大震災がおこり、日本も不況になって、中国に侵略して儲けようと考えた。そこで、日本軍自ら、満州事変をおこし、満州国を作り。1937年には日中戦争を起こす。「治安維持法」を拡大解釈して、反対する者を規制していく。戦争は泥沼化し、この状況を抜け出そうと、真珠湾を奇襲攻撃して第二次世界大戦を始めた。太平洋戦争ともいうね。
ヨーロッパが植民地化してたアジアを開放しようという「大東亜共栄圏」をもって戦争を始めたという話もあるんだけど、ま、理由はいろいろあるよね^^
第二次世界大戦で出てきたのが、「国家総動員法」。生活必需品の制限「配給」、出版物の制限、天皇の命令で仕事をさせることができ、徴兵は避けられない。自由じゃないんだ。これは大日本帝国憲法で出てきたよね。法律の範囲内だけで自由なんだ。法律「国家総動員法」によって、みんなの自由を奪うことができたんだ。
東京が空襲を受けて
沖縄に上陸されて
広島に原爆
長崎に原爆
だぞ。
順番まちがえるな!