江戸時代は長く平和な時代が続いたので生活も安定し、農業も発達しました。

 

農民はもっと収穫を増やそうとし、人口も増え、さらに新しい田を作らなければなりませんでした。幕府も年貢の収入を増やすために始めの3年は年貢無しとかして新田の開墾を勧めました。

そして、平安時代の3倍、安土桃山の2倍もの耕地面積になりました。

新田という地名はこのころに開墾された土地であることが多いです。

 

土地だけではありません。

肥料も進化しました。

灰や 下肥(しもごえ人糞や人尿)に代わって、

鰯を乾燥させた干鰯(ほしか)や菜種の油かすなどが使われました。

新しい肥料によって、作物をたくさん収穫できるだけでなく、風害や冷害も少なくできました。

イナゴの被害もクジラの油をまいて、イナゴの幼虫を退治して防ぐようになりました。

 

収穫が多くなると、道具も発達します。

千歯こきは大正時代の足踏み式脱穀機がでるまで各地で使われていました。

 

また、米だけではありません。

 

カンボジアからきたカボチャ

ジャカルタからきたジャガイモ

を栽培し、

綿や養蚕も盛んになりました。

農民が現金を得ることが目的にもなりました。

 

長々と書きましたが、わかるでしょうか?

 

米がたくさん獲れて、農民がすこし力をもってきたのです。

米がたくさん獲れると、米の値段が下がります

すると、米で年貢をもらっている幕府はお金が足りなくなります。財政難です。

幕府がちゃんと年貢を納めているか、農民の土地を検地しようとすると、

少し力を持った農民が反抗して阻止します。

ますます、幕府は財政難です。

 

その財政難をなんとかしようとしたのが、暴れん坊将軍の吉宗の享保の改革です。

それに、享保のききん、天明のききん、天保のききんがおこり、

寛政の改革、天保の改革と行う必要があったのです。

 

そうです!江戸のメインイベント 「3大改革」です!

 

 

享保の改革(きょうほうのかいかく)    8代将軍 徳川吉宗(とくがわ よしむね) 1716~45年   

米価の安定に取り組んだので「米将軍」とも言われた。

目安箱を置いて庶民の意見を聞いた。

テレビドラマの「大岡越前」で有名な江戸町奉行の大岡忠相を登用し、公事方御定書を作った。

一時期黒字になり成功するが、長くは続かなかった。
 

(田沼意次が株仲間を発達させ経済を活発化させたが賄賂が多発した。)

 

寛政の改革(かんせいのかいかく)    老中 松平定信(まつだいら さだのぶ) 1787~93年   

吉宗の孫。

農業をやめて江戸に仕事を求めてくる農民が多かったので国に帰らせた。(帰農令)

朱子学以外禁止した。

厳しく取り締まったので、反発された。

「白河の清きに魚も住みかねてもとの田沼の濁り恋しき」(狂歌)(松平定信(白河藩出身)の(政治)は潔癖すぎる、前の田沼(意次)の(政治の)汚さのほうが、住みやすかった)


天保の改革(てんぽうのかいかく)    老中 水野忠邦(みずの ただくに) 1841~43年   
ききんで被害を受けた農村を復興させるため江戸に住み着いた農民を国に帰らせた。(人返し令)

賄賂だらけの株仲間を解散させた。混乱したから元にもどした。(忠邦強引すぎ^^)

幕府が都市を直接管理する上知令

2年あまりで失敗

 

今日、完成!店舗改革!(きょうほう、かんせい、てんぽう)

と覚えると良いよ^^

 

 

最後は江戸末期だ!

 

1853年

クジラを獲るために日本で給油したいのと、遭難したとき救助してくれるように、ペルーが日本にやって来て、日米和親条約を結んで開国したんだよね。

 

その後ハリスさんがやって来て、大老の井伊直弼が日米修好通商条約を結んでしまいました。(朝廷がなかなかOKを出さず井伊直弼もOKでるまで、できるだけ遅らせたけどしかたなく。。。)

これが最悪な不平等条約なのです!

関税自主権がない

日本で500円相当の米をアメリカが300円で売りに来たら、関税を200円かけるのです。

そうしないと日本のお米が国内で売れなくなります。その関税は掛けられるのですが、自由に金額を決めることができなかったのです。(5%に決められた。)

治外法権がある

アメリカ人が日本で犯罪を犯しても、アメリカの法律で裁くこと。

 

この不平等条約を解消するのにその後53年もかかりました。(1911年)

 

日米修好通商条約で開港したのは「よこはなに?」よ横浜こ神戸は函館な長崎に新潟

名古屋じゃないぞ!

 

そして、

とても頭の良い15代将軍徳川慶喜が絶妙なタイミングで大政奉還をして江戸時代を終えたのです。

 

 

さぁ、明治のちょろっとまでやってしまおう!

 

明治政府が大名や外国に向けて、天皇が近代的な立憲国家をやるよって、五か条のご誓文を出した。

 

清(香港)もイギリスに植民地化される時代、外国に負けない強い日本を作る必要がありました。そのために、

 

廃藩置県

藩を廃止して、中央政府の指示がすぐ行き渡たる体制にしました。

徴兵令

武士による個人的武技は必要でなく、一様に訓練された一般人による軍隊が必要でした。

みんな始めは嫌がりましたが、軍隊では食事と寝るところが保証され、普段の生活より良かったので、反対されなくなりました。まだ、貧しい時代だったのです。

地租改正

年貢を米で納めていた江戸時代では不作の年は財政難に陥りました。日本を強い国にするには財源を安定させる必要がありました。

農民ではなく、土地の所有者に対して、土地価格の3%を現金で納めるようにしました。

これで財政を安定させることができたのです。

 

 

双子「産業を守るための関税自主権がなく、犯罪をおかしても裁けない治外法権が認められた不平等な条約は 日米つうこうしょうつうじゅう。。。。。???

 

 

 

 

噛むよね♪

 

 

 


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