豊臣秀吉がなくなると、石田三成と徳川家康が対立し、1600年関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が1603年征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開きました。
藤原道長、平清盛、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、共通して、子供が天下人の器じゃなかったのよね。その点、徳川家は子供をたくさーん作って、優秀な引継ぎをつくって江戸幕府を長く続かせたのね。
他にも徳川幕府を長く続かせる工夫があったんだ。
①豊臣氏を大坂夏の陣で滅ぼす → 不穏分子は叩いておかないとね^^
外側を叩いたら、次は内側を叩くんや^^
②武家諸法度 → 決まりを作るのはよくやる手だよね^^城の修理や結婚を勝手にしてはだめ。
③大名を親藩大名、譜代大名、外様大名の3つに分けた。 → 大名同士で監視させる。〈親藩は親戚だからお金持ち。政治(仕事)なんか部下にさせておく。だから、老中は譜代大名がやる。御三家は尾張藩、紀伊藩、水戸藩〉
④参勤交代 → 武家諸法度を家光が強化したもの。1年おきに江戸に来させる制度。五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)が発達。「入鉄砲に出女」。人質として江戸に滞在している大名の妻が逃げないように関所で取り締まること。(江戸に鉄砲を入れない。)
1641年 オランダ商館を出島に(居ろよ一か所に1641)移す。
これオランダが移っただけと思ってはいけない。
出島にいたポルトガル商館が追い出されたんだ。
そう、家光がポルトガルの来航を禁止したんだ。
⑤キリスト教の禁止 → ・スペイン・ポルトガルの布教しての侵略を防ぐため
・幕府が貿易の利益を独占するため
これらのことを光家の3代目まで時間をかけて、徐々に改革していったんだ。
一気にやると反発買うからね。
気づいたら、力を削がれてた。。。というのが狙いね^^
キリスト教の禁止の詳細だけど、
カトリック(イエズス会)のスペインやポルトガルは既に日本に上陸してた(1543年種子島)んだけど、プロテスタントのイギリスやオランダはまだ、日本には上陸していなかったんだ。スペイン・ポルトガルとイギリス・オランダは仲が悪かったんだ。オランダはスペインから独立したてで、後にはイギリスとオランダは戦争しちゃうけどね^^
オランダ人のヤン・ヨーステン(八重洲の由来)とイギリス人のウィリアム・アダムズは5隻の船で日本を目指したんだけど、1隻は断念してオランダに引き返し、2隻はスペインとポルトガルに拿捕され、1隻は沈没し、残りのリーフデ号の乗組員100名も病気とかで24名になって、関ヶ原の戦いと同年1600年に日本の豊後(大分県)に漂着した。もちろん、日本にいるスペインやポルトガルの宣教師は漂流してきたアダムズ達を処刑するべきだと主張したんだ。
徳川家康もアダムズは海賊だと思っていたんだけど、関ヶ原の戦い前で、アダムズ達の持っていた大砲に興味をしめして、その誤解を解いたんだ。家康はアダムズ、ヨーステンを武士にしてあげるくらい気に入った(青い目をした武士ってことで映画化やゲーム化したね^^)んだけど、家康が亡くなるとね。まぁね。。。相手にされなくなるよね。イギリスも貿易不振で撤退して、ポルトガル、スペインはキリスト教禁止で追い出されて、淡々とオランダだけの貿易にして鎖国が完成したんだよね。
あとは、江戸の文化ね。鎖国によって日本独自の文化が生まれたよね^^
不況→来世に関心、仏教が流行る。 飛鳥、天平、平安、鎌倉
安泰→「現世(に関心)を思うように生きたい」 室町、安土桃山、江戸
〇前半
元禄文化
京都大阪の町人文化
・松尾芭蕉 俳諧「奥の細道」
・菱川師宣 浮世絵「見返り美人図」
・近松門左衛門 人形浄瑠璃「曽根崎心中」
・井原西鶴 浮世草子「日本永代蔵」
・尾形光琳 装飾画
「げんろくがちかいひをまつ」
げんろく(元禄)がちかい(近松門左衛門と井原西鶴)ひ(菱川師宣)を(尾形光琳)まつ(松尾芭蕉)」
〇後半
化政文化
江戸の町人文化
幕府も力がなくなってきて、町人が幕府を批判 皮肉、批判精神が文化に。
・葛飾北斎浮世絵「富嶽三十六景」
・歌川広重浮世絵「東海道五十三次」
・滝沢馬琴「南総里見八犬伝」
・十返舎一九「東海道中膝栗毛」
・与謝蕪村 俳諧
・小林一茶 俳諧
双子は新聞屋さんからもらった「週刊マンガ日本史」で、結構人物は知ってた^^
(とうちゃんよりも^^
予習してるの見て嫁さんが「里見八犬伝」を図書館から借りてきてたけど、双子は読んだのかな???
今回は江戸の導入部分だな。
次回は江戸のメインだ。