八月の歌 1974 【追記】 | 泣き笑いせつなブログ『週刊とっちゃんの部屋』

八月の歌 1974 【追記】

お昼になりました、省吾のニュースです  ←

 

 

昨夜の『八月の歌 1974』の記事の反響メッセージ、多数いただきました。

 

なるほど!謎がとけた

 

さすがとっちゃん愛してる ←

 

and more…

 

 

いやいや

記事にも書いた通り、あくまで私感ですからね

 

省吾さまご本人の口から「あ、1974?あれはね…」って語られるまでは

一ファンの推測に過ぎません

 

あ、ここまでの内容がわけワカメちゃんのかた、すみません

 

 

↑ この1974って何だべ?といふ、読者さんからのご質問に対してとつを語ってまふ

 

 

 

そう、省吾さまのプロキャリア初年度(1974年)と、広島平和音楽祭の発足年は奇しくも重なるわけで

 

 

これ、意識しないわけないですよね省吾さま…

広島出身でお父様も被曝されているわけですから

 

八月の歌を世に送り出した(リリースした)のは、1986年(アルバム『J.BOY』収録)。そして、2つの原爆記念日および終戦記念日制定のきっかけを生んだ昭和20年は1945年。

 

だけど、

 

八月の歌 1986 でもなけりゃ

八月の歌 1945 でもない。

 

 

 

きっと、(プロミュージシャンとしての)デビュー年に、いつの日にか俺も有名になって、(同年発足した)広島平和音楽祭(ピースコンサート)で、俺にしか歌えない曲を歌うんだ! そう強く思ったからこその  1974    なのではないかと。

 

 

 

21年後、1995年8月6日広島厚生年金会館で開催された広島平和記念コンサート“ HIROSHIMA PEACE CONCERT ”で、省吾さまはハウンドドッグをバックバンドに従え「八月の歌」を披露してます

 

その時の省吾さま自身の言葉がこちら

 

 

八月の歌は、8月6日に広島で歌うべき歌なんですよね。その機会がなかっただけで、どこで歌うかって言ったら、まさに8月6日に広島で歌うべき歌だと僕はずっと思っていたんです。全ての歌がそうではないけど…作者には、ある歌は必ずこの場でこの人に向かって歌いたいっていうのが、最初からあるんです。「八月の歌」のような曲は対象となる人は具体的にはいないけど、歌うべき時と場所というのがあるんです…

 

 

 

みな浜、『遠くへ』といふ曲、ご存知ですね。

あれ、副題がありましたよね、覚えてますか

 

そう、1973・春・20才

 

 

それに倣えば、『八月の歌』は、『八月の歌 一1974・夏・21才』 といったところでせうか。

 

 

そして、これは、あまりにこじつけ感満載だから、言ふ(書く)か迷ったけど…

 

アルバムJ.BOYの中で、ソロデビューシングル『路地裏の少年』(のリメイクテイク)を前後で挟んでいる曲といふのが

 

遠くへ一1973・春・20才 と 八月の歌一1974・夏・21才 なわけです!!!

 

 

 

 

何度でも書きますが、

 

八月の歌は、広島生まれのロックシンガー・浜田省吾の存在理由を示す曲だと思いマス

 

 

そして、たまにエロ記事も書きますが、真面目な浜田省吾考察記事がみな浜にとっての、とっちゃんの部屋の存在理由を示すものとなってるのであらば、これに勝る喜びはありまてん

 

どーかよろしければ、これからもお付き合いくださいませませ❤️