浜田省吾と月刊カープファン ③ | 泣き笑いせつなブログ『週刊とっちゃんの部屋』

浜田省吾と月刊カープファン ③






本誌:ところでスバリ聞きますけど、あなたにとって広島カープとは何ですか?

省吾:そうですね…やっぱり広島が年々遠くなってしまう、そんな思いが僕の中にあるんですね。十九歳まで広島で育って、それから東京へ出たわけですけど、姉達も結婚して離れて行くし、両親も今は山口に住んでいる。そうなると自分の中でふるさとってものがだんだん遠くなって行く。僕自身、東京に家があるし、否応なしに東京の人間になりつつあるんですね。そこでふるさとってものを想う時に、何があるか、ふるさとの山河かって言うと、僕の場合はちょっと違う。僕は父親が警察官だったんで、県内であっちこっち変わってるんですよね。五日市だったり江田島だったり市内だったりで、明確にここが育った町だってのがない。高校時代は呉(三津田高校)でしたから、強いて言うなら呉が一番印象に残ってますけど、でもあちこち変わった印象の方が強いんですね。
そういう意味で何が一番明確かって言うと、広島カープなんですね。
ふるさとを想う時、自分が広島で生まれ広島で育ったってことを思い出させてくれるのはカープなんですよ。僕は旅が多いんで、たとえ熊本にいても札幌にいても東京にいても、あっ広島なんだ、俺のふるさとは広島だって、そんな気持ちにしてくれるのがカープなんですよ。この感情ってのは特別なものですね。
それははっきり言って子供の頃からカープを見てきてるし、興津選手とか、ピッチャーで言うと白石選手とか大石選手とかがいて、そういう時代からずっとなじんできたし、親爺もカープファンでその影響というか、やっぱり感化されて育ったと思うし、それが今みたいに広島を離れて暮らしていると、自分の気持ちの中でますます強くなっちゃうんですよね。



続く

 

 

 

 

☆とっちゃんメモ★

 

みな浜、お楽しみ頂けてますか

正直、文字起こしも楽ぢゃないけど、読後のみな浜の笑顔をはるか福島の空の下で想像しながら、頑張って書いてまふ♪

 

そう、空は繋がってるんです

 

それは、大震災・原発事故の時にも思ったこと

 

↑ご両親のことを語っておられますが、お母様、亡くなられてたんですよね

それまでは、ブログを始めてから毎年10月10日には省吾さんを産んでくださりありがとうございますと書いてたのに、何故か去年は書くのを躊躇ってて…

でも、変わらず、お母様には、省吾さんを産んでくださって本当にありがとうございますの気持ちでいっぱいです(ご冥福をお祈りします)

 

今夜のファミリーヒストリーを見てておどろきましたが

省吾さまは広島出身で、ましゃは長崎出身。どちらも被爆県といふ共通点のみならず、

なんとお母様のお名前まで同じなんですね!!!

そういふ意味では、福島も被曝県。ただ、とつをのお袋の名前はLilly です。(ぶってんぢゃねーよ💢)

 

 

郷土愛

とつをは産まれは静岡だけど

福島が大好き❤️

省吾さま、この新しい朝にのカップリングに、壁にむかってをchoiceしてくださり感激です

 

壁にむかっては

省吾さまが、福島(郡山)で

作った曲なんだぜっ♪

 

 

 

この企画、省吾ファンのみならず、カープ女子、カープ男子のかたにも楽しんで頂けたら幸いです。

 

 

次回もお楽しみに