田原俊彦VS浜田省吾(第3R)『トシちゃんは1/8000?』
チューヤン(※) おぉ チューヤン 愛を夢みただけさ~♪
とっちゃんです
(・∀・)ノシ
※『進ぬ!電波少年』のあのチューヤン、2005年に芸能界を引退し地元香港の広告代理店で働いてるって、こないだテレビでやってました
( ´艸`)
そりはさておき
早速参りまShow~~~→GO *・゜゚・*:.。..。.:*・'
田原:そうですね。今、浜田さんが歌ってる歌って、まだ僕じゃ表現しきれないんですよ。だからあえて昔の歌を選んでるんです。あれなら僕でも表現できるなって…。評判いいんですよ。
浜田:嬉しいなぁ(笑)。でも…
~~~前回ここまで~~~
浜田:嬉しいなぁ(笑) でも、『MIND SCREEN』って、八千枚ぐらいしか売れなかったんだ。田原くんは八千人のひとりってわけ。
田原:えっ!八千人のひとり!
浜田:うん。僕は五枚目のアルバム(とっちゃんメモ=『君が人生の時…』ですね)まで一万枚いかなかったんだから…。特にあのアルバムが、僕のレコーディング経験の中で、最も悲惨だった。それまでの三枚のアルバム(とっちゃんメモ=『生まれたところ…』『ラブ・トレイン』『イルミネーション』 ですね)が、自分ではいいと思いながら、全然ヒットしなくてね。つくる度に失敗したような気持ちになって、失語症みたいになってきて、全然詞が書けなくて…。あと一週間で歌入れしなくちゃいけないっていうのに、詞が半分ぐらいしかできてなかった。だから、唯一あのアルバムだけ他の作詞家に手伝ってもらったわけ。でも、いざ出来上がってみると、やっぱり自分で書いたもののほうがいいんだよね。
『ダンシング・レディ』も詞は僕じゃないのね。だから歌う気になれなくて、ステージで一度も歌ったことないんだよね(笑)。自分で書いた詞じゃないと、ステージでリアリティーをもって歌えないっていうのが、僕達のいいとこであり、悪いとこでもあるわけ。でも、田原くんも詞を書いてみると、歌に対する思い入れが違うと思うよ。書いてる?
田原:いやぁ、それがねぇ(笑)。僕も一回書いてみたんですよ。ホント!書いたんですよ!でも、23行書くと、それから先が出てこないんです(笑)。どうも、ダメなんだよなぁ…。浜田さんが初めて曲を書いたのっていつ頃ですか?
浜田:遊びでつくったのは…
続く
CanCam『田原俊彦のときめきデュエット』より
☆とっちゃんメモ★
三( ゚Д゚)σまぁ~~~たいいところで切るんだから~~~
( ̄ー ̄)当たり前だの前田智徳サ ←
(前田選手、お疲れ様でした*・゜゚・*:.。..。.:*・')
連ドラも また次も見たい! 視聴者にそう思わせる編集が大事ですものね
(・∀・)b
とゆーか
この連載を始めてからといふもの
検索ワード の中に
“田原俊彦”関連の言葉が多数
( ´艸`)~
トシちゃんファンと思われる新規読者さんからのイイネもチラホラ…
本当に嬉しい限りです*・゜゚・*:.。..。.:*・'
このコーナー
まだまだ続きますから
トシちゃん同様とっちゃんも
今後とも何卒よしなに
CanCamより