心とファッションのカウンセラー
ふたばです。
「お父さんとお母さんの悪いところばかり拾ってきた」
私もそんな風に思ってた。
何かにつけて外見コンプレックスのせいにしてきた。
でも、
外見コンプレックス、別に持ったままでもいっか
そんな風に思えてる今日この頃。
*****
写真が本当に嫌だった。
自分の写真を見る時、
真っ先に行うのがブサイク度チェック。
見るに堪えないか
かろうじて見られるか
心屋塾マスターコースに通うと、
写真をいっぱい撮ってもらうことになる。
私にとって、コレが結構キツかった。
見なきゃいいのに、
怖いもの見たさで撮ってもらった写真を見てしまい、
あえなく撃沈。
横顔の写真とか、マジ拷問だった。
毎回激しく意気消沈しながらも、
周りの人は私のこの顔を見てるんだ
私はこの顔を晒して生きてるんだ
そんな事実を徐々に受け入れるようになっていった。
写真を撮られること自体にも、少しずつ慣れていった。
*
「私はかわいい」
何度もそう思おうとした。
何度もそう呟いてみた。
でも私は、
どうしたってそう思えなかった。
かわいいと思いたくても、
私の審美眼が
私をかわいいと思っていない。
それならもう仕方がない。
諦めることにした。
自分のことを「かわいい」と思うことを諦めた。
そして、
「私は自分のことをブサイクだと思っている」
ということを認めた。
*
不思議なことに、
私の中に安堵感が広がっていった。
だよね!!
やっと分かってくれたのか!!
そんな安堵感。
私は、
「私はかわいい」と思おうとする度に、
そう思えない自分を無意識に責めていたのだ。
そう思えない自分の感性を否定していたのだ。
ブサイクだと認めたら、
「ブサイクのわりに今日はかわいいじゃん♪」
自然にそう思える日がポツポツ出始めた。
枕詞付きではあるけど、
それでも自分のことを「かわいい」と思えるようになったのは、
やっぱり嬉しい。
*****
私は今でも、
自分の写真を見る時はブサイク度チェックをする。笑
うわ、これはキツイ!か
お、これはマシ!か
でも、
外見コンプレックスを忌み嫌わなくなった。
それどころか、
最近では気づきを貰っている。
外見コンプレックスに甘んじて、
キレイになろうとする努力を怠っていたということ。
外見にコンプレックスがあるからこそ、
「好き」をベースにしたファッションを楽しめているということ。
時にケンカをしながらも、
私は外見コンプレックスと共に生きていこうと思っている。
って、ちょっと大げさだな…