アラン著 中村雄二郎訳 「哲学概論」 白水社

 

第五部 情念

第1章 幸福と倦怠

 

 

 

幸福とは求めるものではなく、もともと持っているものだ」とアランはいう。

 

素晴らしい表現。

 

幸福は自分自身が苦労して自分の力で耐えず繰り返してできた結果

 

得られるものである。

 

それなのに人は少しもかじってみては「できない」とか「他人をうらやんだりする」。

 

また他人と比較したり、自分にはできない、価値が無いと言って決めたりする。

 

こういう人たちを「裸のままの情念」という。

 

「強いて自らを節制する想像力の病人」という。

 

アランは次のような考えを持つ人間を言っている。

 

1、俺は幸福でなければならないのだ。

 

苦労無しで多くのものをもっていて、苦労して手に入れた人々が自分をうらやんでいると思っている。

 

有害な考えである。

 

2、あいつのはいいけれど俺のはだめだ。

 

相手のことを素晴らしく何でも持っていて趣味には事欠かないと考え、

 

何かをしようとする時はすぐに比較をし過ぎると言う事になる。

 

有害な考えである。

 

3、俺は幸福であるとは言えないんだ。

 

こう思いこむ創造性の高い人間は有害な考え方である。

 

自分が無器用だという観念を持つと、その人は本当に無器用になるのだから。

 

 

以上のような考えを持つ人間は幸福になれない。

 

病的な考え方をする人間である。

 

アランは「退屈した人間はすべて経験をつくってしまう」といっている。

 

自分を自分自身で「裸のまま」決めつけてしまう態度。

 

こういう考え方の生き方では、幸福にはなれない。

 

病的なのだ。

 

何をするにしても自分自身で行えばつまらない事は無い。

 

困難な規律ある行為のためにすすんで苦労しさえすれば

 

あらゆる苦労は幸福の一部になれるのだ。

 

必要な事は受け取る前に与え、いつでも期待を物に対してではなく、

 

自分に差し向けることだ。

 

そして幸福は確かに報酬ではあるが、それを得るのは捜し求めずに報酬に値するものだ。

 

「喜びを得るのは望んだ」からではあるが「喜びを望んだ」からではない。

 

 

「得るのを望む」ことから始めるのだ。

 

 

(住吉町4丁目の風景)母と私