アラン著 古賀照一訳 「3」 白水社

 

感情・情念・表徴

 

第17章 男性の宗教と女性の宗教

 

 

 

女性は男性よりも宗教に支配されることが少ない。

 

女性は現実世界に順応し、自然に従ってまっすぐに生きる性分であり、

 

解けぬ問題に頭を悩ませない存在である。

 

女性は本性からいって実証的精神に従って生きていく存在である。

 

女性の思考は感情の生活は瞑想の生む意見に左右されることが少ない。

 

女性は理論の教えを決して真に受けない存在である。

 

肝臓のうっ血や胃の酸味をすぐさま情熱に変えてしまう思考の酵母が欠けているため

 

女性の情動はいつまでも情動であるにとどまっている。

 

男性は筋肉組織的には上手く適合する。

 

男性は女性よりも想像力が豊かである。

 

女性はほとんど懐疑しない。

 

狂暴な決意と狂信は懐疑無くしてはありえない。

 

数珠や詩篇や儀式は悲哀や復讐心や絶望を抑える強力な手段なのである。

 

実証的精神は祭典儀式秘蹟という物まねによる浄化作用を軽蔑しない。

 

男性は現実的世界よりも感情的で想像力が豊かであって、

 

一種の狂騒状態と教義力に打たれた興奮状態を見せる。つまり

 

宗教的に支配される傾向が強い。

 

一方女性はそういった男性の形而上学者とは異なり、現実世界である。

 

いわゆる実証的精神にいる存在であるため、懐疑(想像)しないため

 

現実的であるため、その精神は宗教上の儀式をも精神の浄化作用によって

 

現実を試みる。

 

精神の浄化作用とは、悲哀・復讐心・絶望感を抑える強力な手段である。

 

 

男性は宗教的に狂騒的・興奮状態を見せるが、女性は宗教的であっても現実的であって

 

宗教を一つの現実化するための手段に変えているにすぎない。

 

宗教を物まねによる浄化作用として。