アラン著 古賀照一訳 「3」 白水社

 

感情・情念・表徴

 

第8章 コケットリー

 

 

 

恋は人に気に入られるという幸福感であり、そのための方法や技術は無く、

 

むしろ相手に幸福を与えるがゆえに自由に気に入れられる。

 

強制・支配されることではない。これでは得られない。

 

しかしお互いがお互いに自由を奪い強制することを気遣うように注意をしてばかりいると

 

逆に相手に気に入らない事ばかりをしてしまう。

 

中味は愛し合っていても表面は自由ダンス(恋に陥っている男女の争い)である。

 

これがコケットリーである。

 

本当は大好き。大きく愛してる。恋下がり・・・なのだけれど

 

相手を強制したり相手への自由を奪うことを拒む心理が一層強くなってしまうため

 

コケットリーとして恋のダンス・自由へのダンスをしてしまう。

 

お互い新たに燃え上がり、真実の恋になればなるほど恋に陥る男女が争うのである。

 

つまり喧嘩するほど仲がいい。

 

愛は与えるがゆえに豊かなのである。

 

束縛したり強制したりすることでは得られないのだ。

 

相手の気持ちを考えすぎ、うるさがられたり、暴君みたいに思われはしないかという心配も

 

かえって相手の気に入らない事をしてしまう。

 

束縛と自由が逆である。

 

相手を自分に束縛しようという気持ちを抑えて自由を与える気持ちが強ければ強いほど

 

相手にひどい行動・言動を与えてしまうのであるが、

 

それが相手にとっては気に入らなかったりする。

 

これがコケットリーで女性がそういう行動をする。

 

2024年4月30日美ヶ原高原