アラン著 中村雄二郎訳 「哲学概論」 白水社

 

第二部 秩序だった経験

第9章 仮説と推測

 

 

 

「真理とは生理学的に十分な知覚を得た時に初めてなるものだ」

 

とアランは言った。

 

物の存在、事物は「そこにある」、「存在する」とはいわない。

 

あるのはただ「想像(推測)」だけだ。

 

本物は、そこにあると言うだけで信じられるものではない。

 

感情や単なる考えだけではいつまでたっても

 

それは推測や想像だけである。

 

昔、

 

預言者が預言をすると「月が満ち欠ける」といい、

 

実際に「月の満ち欠け」が起こった事をめい目に

 

その予言者を誰もが信じる時代があった。

 

地獄という恐怖の悪魔を演じた教会の説教を信じた幼少期

 

と同じである。

 

しかし

 

今では、月の満ち欠けは「想像」「推測」ではない。

 

当たり前の話となり、月の満ち欠けの予言もなく、地獄の恐怖と言う事もない。

 

事物は

 

力学的にも理性的にも理論的にも「仮説」と「計算された」ことによって明らかになる事であり、

 

その結果現れたものを「真実」とし「そこにある」と実証する。

 

コントは「既知なるものは六つの学問)数学・天文学・物理学・化学・生物学・社会学)を

 

利用して「未知のもの」を見い出すと言っている。

 

順序立てて推測を想像を仮説から学問から見い出していくこと。

 

それが「真実」であると。

 

 

とかく今の世は情報化社会と言いつつも

 

信じるものが信じられないものと化し、

 

信じられないものが真実であったり、

 

感情や推測や想像で人間の心を奪われてしまいやすい。

 

 

アランのいう

 

「真理とは生理学的に十分な知覚を得た時に初めてなるものだ」

 

 

とは

 

 

確実な自分の眼でみること

 

確実な自分の思考で考えること

 

そしてそのためには

 

「一つの学問が先立つ他の学問に依存する」と言う事を

 

アランが教えたように

 

既知のものを身に付け未知のものを理解する

 

と言う事が重要なのであると学ぶ。

 

そこには

 

「感情・想像」だけで理解することは無い。