アラン著 中村雄二郎訳 「哲学概論」 白水社

 

第二部 秩序だった経験

第4章 観念の獲得

 

 

 

観念とは何か

 

観念を「思考」と訳してみる。

 

思考は考え方・理解の仕方・解釈の仕方。

 

思考を学ぶための方法は、二種類あると言う。

 

一つは

 

昔の古典というものから学ぶ方法

 

二つ目は

 

「人間というテキスト」であるとアランはいう。

 

人間でも「卓越した人間」から学ぶことだ。

 

 

 

こうした学びの

 

意見交換や交流によって大きな「思考」つまり「観念」を獲得する事ができ

 

誤った考え方や思考を耐えず繰り返し、修正しつつ

 

成長していくことができるのだ。

 

 

 

アリストテレスは

 

「子どもははじめ、だれのことでもパパと呼ぶものだ」といった。(アラン著 中村雄二郎訳 「哲学概論」 白水社P123)

 

子どもは決して「パパ」ということばを理解したうえでしゃべっているわけではない。

 

子どもは

 

「パパ」と言ってみて・・・そうした合図があいての返してくる表情によって

 

理解している。

 

母親はこの「パパ」に対して表情を返し、言葉を発する。

 

母親も子どもの思考を学ぶ。

 

アランはこのことを「親和力」と言っている。

 

 

 

 

人間というテキストが「教えつつ学ぶ」という交換する親和力でもって

 

合図の交換が、諸観念や思考を導くのであると言う。

 

 

 

鬼火を見るとある人は「これは死者の魂だ」という

 

あるものは「これは硫化水素だ」という

 

夢を思い出して

 

あるものは「これを神々のお告げだ」という

 

あるものは「これは人体の運動による不完全な知覚だ」という

 

こうした架空の存在を

 

真向に信じている思考方法や考え方は「愚鈍」であるとアランはいう。

 

 

地球の地軸が北極星であると考えられたのははるか昔のことであるが、

 

この地軸がおよそ二万五千年をして織姫座の「ペガ」に移動しているなんて言うのは

 

かの有名な「ヒッパルコス」であった。

 

こういう天文学的にも知識を共有して理解する。

 

 

 

そして知識を卓越した人間から得ることで

 

真の規則性や真の思考がはっきりとし、

 

馬鹿げたドラマに乗り、いらぬ心配をすることなく

 

余裕のない生活を送り続けなければならない結果となることはない。

 

 

 

白取春彦は自著「頭がよくなる本の読み方」(祥伝社黄金文庫2020年P47)で

 

「自分自身が自由になれば、それにつれて思考の連想も自由になる」と言っている。

 

 

自由になるためには白取春彦は

 

「いちいち考えない」ということだ

 

いちいち考えることは毒性を持ち、時間の浪費となり

 

一日の時間がすっきりとしないという。

 

 

正しい考え方という規則はないが「すっきりとした有意義な時間を持つための考え方」という

 

方法は「考え方の癖」を古典からそして卓越した人間というテキストから学ぶことが

 

重要だとアランは言っている。

 

 

 

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