アラン著 中村雄二郎訳 「哲学概論」 白水社

 

第一部 感覚による認識

第3章 運動の知覚

 

 

 

電車に乗っている時

 

ふと窓から風景を見ていると

 

見える木々は進行方向の逆に

 

走って消えているように錯覚する

 

 

月に向かって走っていると

 

月がだんだんと大きくなってくる

 

月もこちらに向かってくるように錯覚する

 

 

「錯覚」というのは「見える」と言う事である。

 

 

ものの運動による

 

「見える」という「錯覚」はある定点の位置をお互いに見方を変えてみると

 

「見える」が「見えた」にかわる。

 

物の運動とは一つに分割できない全体であるため

 

定まった点をただ予想通りに運動しているだけだ。

 

移動しているのではない。

 

なので

 

この定点の見方を、見る視点を変えることによって

 

見えていたものが「見える」し、

 

見えていなかったものが「見える」し、

 

そう思っていたものが「見えなかったり」「見えたり」と、、、

 

動いているものの見方は人によっては大きな差があるのだ。

 

動いている全体を見るのではなく

 

定まったある一点をお互いに比較検討をして見ることが大事。

 

どちらが正しいのか

 

どちらが真実なのか

 

 

は分からないけれど。

 

 

そう見ればそう見えるけれど

 

思索とはそういうものである。