ルソーは「告白」の中でこういった。
「人々を、彼らが現にあるままの、
また将来も依然あるであろうままの姿でとらえないで、
みな彼と同じょうにしてしまうことを欲したため、
あらゆる体系において誤謬から誤謬へと進んだにすぎない。」
そしてこの名分を「アラン」は
「 私はこの数行を書き写しているとき、
同じことを何回となく読み返すことが
いかに必要であるかがかつてないほどよくわかってくる。」
アラン著作集10(わが思索のあと P68)
接骨院での患者さんへの診察というものの中で、
患者さんが受付用紙に痛いところやけがをしている所、また
困っていることを印にしたとき
概ね80%くらいで想像して状態を把握できる。
しかしこれはすべて「憶測・・・・」つまりは知っている知識、過去の文献、聞いた話を
参考にして「あろうままの姿」に一致させようまたは近づこうとしている結果である。
診察は
患者の発言・態度・雰囲気・話すタイミング・所作をできるだけ
詳細にカルテにかくようにしている。
アランの言うように、記載したことを何回も読んでいるうちに
その人間像が見えてくるのかもしれない。
世界中で有名な「レーニン」は
常に忙しく、いつも逃げ歩くような生活をしていて
その中で本を持ち歩く事ができなかったため、
読んだ本の抜き書きをノートに写し、コメントも記していた。
ノートがあれば、正確なデータが復元できるようになっているのがレーニンの特徴であったようだ。
レーニン全集第38巻(大月書店」哲学ノート1961年P276-277.282-283)